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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)987号 判決

原告 武田孝 ほか三二名

被告 国

代理人 大内俊身 濱野一彦 鎌田泰輝 持本健司 草薙讃 ほか一九名

主文

一  被告は原告らは対し、別紙認容金額一覧表の〈イ〉欄記載の各金員および内同表の〈ロ〉欄記載の各金員に対する昭和四九年九月四日から、内同表の〈ハ〉欄記載の各金員に対する昭和五四年一月二六日から、各完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

認容金額一覧表(単位円)

原告氏名

〈イ〉認容合計金額

内訳

〈ロ〉弁護士費用を除く損害額

〈ハ〉弁護士費用

武田孝

五七八万

五三五万

四三万

石原博夫

一三三五万四九六三

一二三六万四九六三

九九万

伊藤芳男

一四〇〇万〇八〇六

一二九六万〇八〇六

一〇四万

井上義彦

二七九七万二九三四

二五九〇万二九三四

二〇七万

岩井健三

三八三万三〇五〇

三五五万三〇五〇

二八万

尾崎信夫

一六七五万二八七二

一五五一万二八七二

一二四万

柏木克己

二七五四万

二五五〇万

二〇四万

木村昭久

一八三〇万九三〇二

一六九四万九三〇二

一三六万

鈴木正男

二一一一万五五八五

一九五五万五五八五

一五六万

宅間三千夫

一八三七万一八一五

一七〇一万一八一五

一三六万

武田光子

八四〇万二〇〇〇

七七八万二〇〇〇

六二万

辰巳栄憲

一七一三万八〇一二

一五八六万八〇一二

一二七万

那須義高

一一二一万三六四九

一〇三八万三六四九

八三万

横山十四男

一九八九万七六五六

一八四二万七六五六

一四七万

吉沢四郎

七〇八万八〇〇〇

六五六万八〇〇〇

五二万

吉沢照代

七〇三万五三六五

六五一万五三六五

五二万

渡辺規男

五四八万三二六二

五〇七万三二六二

四一万

菅谷政一

四四六万六一三八

四一三万六一三八

三三万

田村明

四七〇万三〇〇一

四三五万三〇〇一

三五万

内藤正信

七六八万〇三〇五

七一一万〇三〇五

五七万

内藤美代子

一一七万三六〇〇

一〇八万三六〇〇

九万

星野正樹

三七四万四四〇〇

三四六万四四〇〇

二八万

小川元嗣

一一二万

一〇四万

八万

加藤力

一〇三万三八八〇

九五万三八八〇

八万

黒田豊

一四四万二五〇〇

一三三万二五〇〇

一一万

小西信一

三三五万

三一〇万

二五万

佐渡島平四郎

四九七万

四六〇万

三七万

竹内久夫

一七〇万〇二三二

一五七万〇二三二

一三万

中納博臣

一五七万

一四五万

一二万

水野善之

一七八万六九二二

一六五万六九二二

一三万

柿沼和子

四八三万〇〇三〇

四四七万〇〇三〇

三六万

加藤ハル

九七八万四〇〇〇

九〇六万四〇〇〇

七二万

百々洋子

九七八万四〇〇〇

九〇六万四〇〇〇

七二万

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は

原告武田孝に対し金九二〇万円

原告石原博夫に対し金二〇〇五万六六八〇円

原告伊藤芳男に対し金一九九一万二五〇〇円

原告井上義彦に対し金三五八五万七一九三円

原告岩井健三に対し金四七〇万五〇〇〇円

原告尾崎信夫に対し金二二九五万五〇五五円

原告柏木克己に対し金三七二三万六〇〇〇円

原告木村昭久に対し金二五六三万五四七五円

原告鈴木正男に対し金二七五一万〇五〇〇円

原告宅間三千夫に対し金二三九五万八〇〇〇円

原告武田光子に対し金九〇一万七八八六円

原告辰巳栄憲に対し金二三五一万二〇〇〇円

原告那須義高に対し金一四二二万六七三三円

原告横山十四男に対し金二六八〇万九五〇〇円

原告吉沢四郎に対し金一一七七万円

原告吉沢照代に対し金七六五万四〇〇〇円

原告渡辺規男に対し金七八五万三〇三三円

原告菅谷政一に対し金六一一万一〇〇〇円

原告田村明に対し金六九五万八五四〇円

原告内藤正信に対し金九三二万一八〇五円

原告内藤美代子に対し金一二四万三六〇〇円

原告星野正樹に対し金五四二万二〇〇〇円

原告小川元嗣に対し金二五三万円

原告加藤力に対し金一五九万三二〇〇円

原告黒田豊に対し金二一九万円

原告小西信一に対し金六二一万円

原告佐渡島平四郎に対し金八五一万円

原告竹内久夫に対し金二六五万七九二〇円

原告中納博臣に対し金二三〇万円

原告水野善之に対し金二七九万八四六〇円

原告柿沼和子に対し金六一六万三〇〇〇円

原告加藤ハルに対し金一〇八五万五七二〇円

原告百々洋子に対し金一〇八五万五七二〇円

および右各金員に対する昭和四九年九月四日から完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告ら

原告加藤ハルを除く原告らおよび原告加藤ハルの亡夫訴外加藤信は昭和四九年九月一日当時、東京都狛江市猪方地先の後記多摩川左岸沿いの堤内地に居住し、または同所に土地・家屋等を所有していたものであるが、後述のとおり、同日夜半より右猪方地先付近の多摩川左岸堤防が決壊し、その後さらに堤内地が浸食された結果被災し、またはその際の水防活動等によつて被害を蒙つたものである。

(二) 被告

被告は、一級河川たる多摩川を河川法およびそれに基づく命令に従い、管理するものである。

2  本件災害の発生

(一) 多摩川および宿河原堰周辺の概況

多摩川は、山梨県・東京都および神奈川県の一都二県にまたがり、北西から南東方向へ東京湾に流入する河川である。上流部は東京都の水源となつている山地で小河内ダムがあり、また河水は農業・工業および水道の各用水に利用され、一級河川たる多摩川のうち指定区間を除く区間に九か所の取水堰が設置されている。稲毛川崎二ケ領用水宿河原堰(以下「宿河原堰」または「堰」ともいう)はそのうちの一つで、同堰は多摩川左岸東京都狛江市猪方地先から右岸神奈川県川崎市宿河原地先へと同川を横断して設置されており、稲毛川崎二ケ領用水(以下「二ケ領用水」という)の取水を目的としたものである。堰の全体の構造は、全長二九七メートルで、右岸から順に、鉄筋コンクリート造りの固定部五〇メートル、五連のゲートからなる放水門三五メートル、舟通し魚道一二メートルおよび同じく固定部二〇〇メートルで構成されており、左岸側堰固定部は一五メートルにわたり高水敷の地表下約一メートルのところに嵌入していた。堰天端の標高は、A・P二〇メートルである(A・Pは、T・Pで表わされる「東京湾中等潮位」より一・一三四メートル下位の基準位である)。堰周辺の状況は別紙第一図および第二図記載のとおりであるが、堰が取付けられていた左岸高水敷上には、三面を植石コンクリートで被覆されている小堤が堰上流部から堰下流約二〇メートルの地点まで直線で設置されていた外、堰取付部の左岸高水敷側壁には同じく植石コンクリートで被覆されている低水護岸が堰上下流部にかけて設置されており、前記小堤の表法はこの護岸と一体構造になつていた。

(二) 本件災害発生の経過

(1) 多摩川流域では昭和四九年八月三〇日夜から同年九月一日にかけて、台風第一六号の影響を受け、上流氷川を中心に多量の降雨があつたため洪水が発生し、多摩川の水位は八月三一日早朝から上昇を続けた。

(2) 宿河原堰では、同日夕刻より堰固定部からの越流が始まり、九月一日午前一〇時には堰地点での本川流量は毎秒一六〇〇立方メートル前後となり、堰の越流水深は約二メートル、また堰の上下流の水位差は約四メートルに達した。

(3) 同日昼頃に、まず、堰左岸下流取付部護岸の一部が破壊され、次にこの破壊は護岸工と一体構造となつていた小堤に及び、小堤の破壊および高水敷の浸食が始まつた。

この取付部護岸の崩壊は、堰越流水による水衝および洗掘の外、裏側からの浸透水圧などの複合的な作用に耐えられずに生じたものであるが、本件の場合、浸透水圧よりも堰越流水の水勢が崩壊の主因となつた。

(4) その後も河川流量は増加を続け、同日午後一時三〇分から午後二時の間に流量は毎秒二七〇〇立方メートル前後となり、この段階で堰上流部の小堤から高水敷への越流が開始した。

(5) 小堤からの越流が始まつてからは、本川水位の上昇とともにこの小堤からの越流延長および越流量は増加し、この間小堤自体の上流方向への破壊が進行した外、この越流水が小堤と堤防との間の高水敷を流下して、その大部分が前記高水敷浸食箇所に流入し、高水敷の浸食は上下流および堤防方向に徐々に増大していつた。

この高水敷の浸食は、小堤を越流し高水敷を流下して浸食箇所に滝状に落ち込む流れと、本川の堰固定部を越流して堰下流部に生じた流れとの二つの水流の作用によつて進行したものであるが、上流方向に比較して二倍ないし三倍の速さで堤防方向(川に直角方向)に進んだ。

(6) 同日午後四時頃、小堤の破壊が堰嵌入部の上流面にまで達した。

この小堤の破壊は、本川水位の上昇に伴い小堤からの越流が増大して小堤上に下流方向への流れが生じたことにより小堤の天端から破壊部に越流し落下する水流によつて加速された。

(7) 小堤の破壊が堰上流部に及んだため、この段階で小堤の破壊口から本川の流水が堤防方向に向かつて流れることとなり、堰を迂回する水流(以下「迂回流」という)が生じた。

このため、既に生じていた小堤からの越流水と相俟つて高水敷の洗掘と小堤の破壊を進行させた。

(8) 堰嵌入部の上流側に生じた右迂回流は急速に広がり、同日午後五時から午後五時三〇分頃に本川流量がピーク(毎秒約四二〇〇立方メートル)に達したこともあつて、堰嵌入部先端から堤防の表法尻にまで達する幅約三〇メートルの円弧状の迂回水路が形成された。

(9) 同日午後五時三〇分以降、本川流量が減少するにつれ小堤からの越流量は減少したものの、小堤の破壊口からの迂回水流は依然として強く、高水敷を上下流および堤防方向に浸食し続けた。

(10) その後、高水敷の浸食は堤防に及んだが、その時点では河川水位が堤防表法尻の高さ以下になつていたため、堤防はその地盤が浸食され、それに伴つて堤防自体も崩壊、流失していつた。

(11) 同日午後一〇時二〇分には堤防が延長約一〇メートルにわたつて裏法尻まで流失し堤内地盤の浸食が始まつた。この時点で河川水位は既に堤内地盤高より下がつていたため、堤内地への洪水の氾濫は免れたが、迂回流による地盤の浸食はこの後も依然として続き、堤防の最終的な決壊は延長約二六〇メートルに達した。

(12) 結局、迂回流による浸食は後記の如く同月三日まで継続し、堤内地への氾濫という事態は免れたものの、高水敷、本堤地盤および堤内地盤を洗掘、流失し、同月一日午後一〇時四五分頃最初の家屋(物置)が流失したのを始めとして、同月三日午後二時までの間に堤内の流失住宅地面積は約三〇〇〇平方メートル、流失家屋数は一九棟に達した。

(三) 本件洪水の規模

本件洪水の最大洪水流量は毎秒約四二〇〇立方メートルで、計画高水流量(毎秒四一七〇立方メートル)とほぼ同程度であつた。次に、宿河原堰地点における最高水位はA・P約二三メートル強(二三・一ないし二三・二メートル)で、これは堰左岸上流側の側線を本堤まで延長した地点の堤防天端の高さ(A・P約二四・二メートル)より約一メートル下位の水位であつた。また堰より約五キロメートル上流の石原地点でも昭和四九年九月一日午後四時頃に最高水位三・八六メートルを記録したが、これは同地区の計画高水位より約五〇センチメートル下位であつたし、猪方地区より約八キロメートル下流の田園調布水位観測所においては、最高水位八・四六メートルでこれは計画高水位より約一・九メートル下位であつた。

右洪水の規模は明治四三年、昭和二二年等過去に発生した大洪水とほぼ同程度のものであつて、格別異常な洪水ではなかつた。

3  本件災害の原因(河川構築物の欠陥)

(一) 本件災害の原因

本件災害が発生した多摩川の狛江付近は、計画高水流量は毎秒四一七〇立方メートルとされ、これに見合つた河道改修計画が実施され、この流量を安全に流すための河道断面を有し、堤防・護岸その他の河川管理施設を備えているとされていたのである。

然るに本件災害の発生をみたのは、その原因として、一つの決定的な要因があつたのではなく、宿河原堰およびその周辺の河川構築物に以下述べるような多くの欠陥が存在し、それらが複合されたことに起因するものである。

(二) 宿河原堰およびその周辺の河川構築物の欠陥

(1) 堰本体の構造上の欠陥

宿河原堰は、多摩川のような流量の大きい大河川の平地部に位置する堰としては、高くかつ可動部の少ない堰であつたため、堰の越流水の流速は本件災害をもたらした洪水の平均流速(毎秒約三メートル)の三倍程度とかなり大きいものになつて右越流水の堰下流部およびその周辺に対する破壊力を一層増大させた。

(2) 堰左岸下流取付部護岸の構造上および材質上の欠陥

堰左岸下流取付部護岸は法勾配が一・五割ないし二割で堰の高さが下流方向へ漸減するに従い表法足が流心方向に出ることとなつて、水流の乱れを生じ易いことも加わり、より一層大きな外力を受け易い状態になつていた。また護岸法線が、当初設計図(堰の設置に当たつては、昭和二二年四月に河川管理者に対し、河川敷占用ならびに工作物改築設計変更および工期延長についての申請が行なわれ、同年九月に許可されている。この時の許可書に添付されたと推定される設計図を「当初設計図」といい、また同図に記された設計を「当初設計」という。)による線よりも約五メートル流心方向に出ていたため、護岸法足はさらに流心方向に出ることになり、右の状態は一層増大された。そのうえ右取付部護岸(小堤を含む)は、水衝部でない地区の堤防、護岸にも使用されている厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたに過ぎず、かつ本件災害前には穴ぼこ、クラツク等が存在していたため、一層その強度が低下していた。このような脆弱な構造および材質であつたため、堰直下流部では堰越流水による水衝および洗掘の外、裏側からの浸透水圧に対する強度が弱く、また構造全体としての耐久性を欠くものであつた。そしてこの取付部護岸が崩壊したことが本件災害の発端となつたばかりでなく、小堤からの越流水の作用と相俟つて本件のような大災害を惹起する重要な原因となつた。

(3) 小堤の構造上の欠陥

小堤の高さは、本件災害における最高水位よりもかなり低いものであつたばかりでなく、計画高水位にさえも及ばなかつた。即ち、本件洪水の宿河原堰地点における最高水位はA・P二三・一ないし二三・二メートル、同じく計画高水位はA・P二二・八四メートルであつたのに対し、小堤の高さは堰直上流部でA・P二二・四メートルであつた。このように小堤が低かつたために本件災害においては、計画高水流量が流れる以前のかなり早い時期から堰上流部の小堤からの越流が始まり、この越流水が高水敷を流れ下つて堰下流の高水敷の浸食箇所に流れ落ちる水勢によりその浸食を加速する働きをした。

(4) 高水敷の構造上の欠陥

小堤の高さは、前記のとおり、計画高水位よりも低いものであつたから、計画高水流量程度の洪水が発生した場合流水は高水敷上を流下することとなるのに、高水敷には何らの保護工も施されていなかつたため、上流からの流量が増大すると下流側からの欠け込みと相俟つて高水敷は容易に洗掘を受け、高水敷上の堰嵌入部が洗い出されることになつてしまつた。

(5) 堰と本堤との接続形式の欠陥

堰は本堤に直接取付けるのが普通であるのに、宿河原堰においては、堰を直接本堤に取付けないで高水敷を挟んで本堤にほぼ平行して設置された小堤に取付けられていた。そして堰嵌入部は高水敷の地表下約一メートルのところに一五メートルだけ入つており、本堤までつながつていなかつた。右小堤の構造自体に欠陥があつたことは前述のとおりであるが、さらに、このように堰と本堤との接続形式が全国でもほとんど例のない不自然なものであつたことが、本件災害において迂回流の発生という非常に稀有な形態をとらせる原因となつた。また堰の嵌入部が高水敷の途中まで入つていたことは、迂回流による横浸食(側方浸食)を一層増大させた。

4  河川管理の瑕疵

(一) 河川管理の瑕疵(一般論)

河川はいうまでもなく国家賠償法二条にいう営造物であるから河川として通常備えるべき安全性を具備することが要求される。そして河川が通常有すべき安全性とは、通常予測される洪水に対しては、これを安全に流過させるような河川管理施設を備え、右洪水による災害を堤内地住民に及ぼすことのないような安全性を具備することである。ことに、計画高水流量および計画高水位が措定され、かつ右程度までの河道改修計画が実施されている河川においては、右程度の洪水に対しては、これにより堤内地住民に災害を及ぼすことのない安全性を備えることが絶対的に要求される。従つて、このような河川において計画高水流量程度の規模の洪水により堤防地盤、堤防が破壊され、堤内地住民に対して災害が及んだときは、当該河川につき通常備えるべき安全性を欠いていたもので河川管理に瑕疵があつたというべきである。

(二) 河川管理の具体的瑕疵

(1) 高くかつ可動部の少ない堰とその放置

堰の高さについては、まず、昭和一〇年に設置された水害防止協議会の決定事項中には「下流平地部ニ築造スル取水堰堤ハ治水上ノ影響ヲ充分考慮シ、且比較的高キモノハ成ルベク可動堰ト為スコト」、「堰堤ノ高ハ下流平地部ニ於テハ洪水ノ影響ヲ考慮シ、之ヲ必要ノ最小限度ニ止ムルコト」との各項目がある。また、昭和三三年度の建設省砂防技術基準でも「本件の高さは目的に適合する範囲で、できるだけ低くとる」こととしている。このように既に昭和一〇年当時から堰本体はなるべく低くすることとし、やむを得ず高くするときはなるべく可動部を多くすべきこととされていた。

然るに被告は宿河原堰について、建設省が自ら定立している右基準を遵守せず、高くかつ可動部の少ない堰の危険性を十分検討することなく、その設置を許可したのである。

ところで、宿河原堰からの取水目的は灌漑用水であるが、同堰からの利水状況については、堰設置当時から災害発生時までの間に次のような変遷があつた。まず、灌漑面積は、明治末年に二八〇〇ヘクタール、第二次大戦前に一五〇〇ヘクタール、現在の堰が設置された昭和二二年には一一七六ヘクタールと漸減しており、その後は周辺の急激な宅地化によつて著しく減少し、現在は水田一六二・六ヘクタール、果樹園三八・三ヘクタールにまで減少している。またこれに応じて取水量も昭和九年に毎秒四・一七四立方メートル、昭和三三年に毎秒二・六七立方メートル、現在では毎秒一・二一立方メートルにまで減少している。従つて堰の高さを設置当時のままに維持しておく必要がなかつたことは明らかである。

然るに被告は堰設置後本件災害時まで二五年の長きにわたりこの点につき何ら検討することなく堰を高いまま放置していたのである。

本件災害後の改修工事において堰は左岸側固定部の高さを九〇センチメートル切り下げ、天端に高さ二五センチメートルの蛇籠を設置して結局六五センチメートル低くしたのであるが、かかる改修は本件災害をまたず、もつと早い時期に当然なすべきことであつた。

以上のとおり、高くかつ可動部の少ない堰の設置を許可したこと自体はもとより、その設置後に取水量の大幅な減少があり、かつ河川周辺地域の人口の増大などにより河川の安全性の要求がますます強まつているのに堰を高いまま放置したのであるから、この点に河川管理の瑕疵があつたというべきである。

(2) 脆弱な取付部護岸とその放置

堰下流の側壁護岸について前記砂防技術基準は「堰による複雑な高速水流を受けるのであるから通常の河道部分のものより相当堅固なものにする必要があるばかりでなく、堰を越えた水流を円滑に下流に導くために有効な形状を有することが望ましい」としている。

このように堰下流の側壁護岸を特に強固にすべきことは単に建設省の技術基準であるにとどまらず、河川技術者の間では既に常識とされているところである。即ち、一般に堰の下流部には非常に激しい水の勢が起るのであつて、その水勢が激しいために、堰下流部の水たたきが破損したり、あるいは水たたきが短い場合にその先端が洗掘されたりするほどである。さらに堰下流部の地形、構築物、可動部の位置如何によつては水が部分的に渦を巻いて洗掘を助長するようなこともある。このように堰下流部は水勢が激しいばかりでなくその水理も複雑であることは河川技術者が経験的に知つていることであり、そのため堰下流部の河床や堰の上下流部の側壁の護岸は特に念を入れて強固にすべきことは河川技術者の常識となつている。

宿河原堰の場合は、前記のとおり堰本体が高くかつ可動部が少ないという欠陥があつたのであるから、堰を越流した場合の水勢がとりわけ激しくなることは河川管理者たる被告の当然知り得たところである。従つて被告としては、その水勢に耐え得るように堰下流の側壁護岸を特に念入りに強固にしておくべきであつた。

然るに、宿河原堰左岸下流取付部護岸は、法足が前に出ていたためそこに複雑な水流を生ぜしめることになり、「堰を越えた水流を円滑に下流に導くため有効な形状」にしておくべきものとする前記砂防技術基準に適合していなかつた。そのうえ、この法足の部分は前に出ていたのであるから堰越流水によつて河床同様にたたかれる状況になるにもかかわらず、河床が厚さ九〇センチメートルのコンクリートで打ち固めてあつたのに比してこの法足部分は僅か一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたに過ぎなかつた。

宿河原堰の左岸下流取付部護岸に存するこのような形式構造等の弱さは、同堰の上流部に設置されている現況の上河原堰の左岸下流取付部護岸と比較すれば一層明白になる。即ち、上河原堰の場合は、まず護岸は垂直擁壁にしてあり法足が川側に出ていないので越流水の衝撃は著しく軽減される構造になつており、また堰下流の護岸法線は堰軸に対して直角であつて川側に出ていないから水流の妨げにならないようになつている。さらに堰左岸取付部の垂直擁壁は厚さが上部で四〇センチメートル、基部で六〇センチメートルの強固な鉄筋コンクリート造りになつており、また水たたき部分も厚いコンクリートで強固に構築されていて植石コンクリートとは比較にならぬ強度をもつている。このように上河原堰の左岸下流取付部護岸が全体として強固で耐久力を備えていたのに比較すると、宿河原堰の左岸下流取付部護岸が全体として脆弱で耐久性を欠如していたことは明白である。

ところで宿河原堰左岸下流取付部の災害は本件災害が始めてではない。即ち、昭和三三年に護岸の一部が被災している外、昭和四〇年にも八月と九月の二回にわたつて災害を受けているのである。しかも昭和四〇年の災害では本件災害とほぼ同様に小堤の先端部が約一〇メートル破損しており、この部分が弱体であることはこの時既に明らかになつていたのである。

然るに、これらの堰取付部の被災に際して、河川管理者は堰の管理者をして原形復旧させただけで、河川管理施設について何らかの改善を命ずることもなかつた。

この点に関して特に注目すべきは、宿河原堰と同様の構造であつたといわれる上河原堰の旧取付部護岸が昭和四一年の堰本体の被災後現況のように強固に改修されたことである。この時、宿河原堰の取付部護岸について弱点として指摘されている点はすべて改修されたのである。

然るに被告は、宿河原堰の取付部護岸を弱体のまま放置し、本件災害後に至つてようやく上河原堰の取付部護岸と同様の構造に改修したが、少なくともかかる改修工事は昭和四〇年の被災後に当然なされるべきであつたのである。

宿河原堰の左岸下流取付部護岸は、前述のように同堰が高くかつ可動部が少ないという欠陥を有していたから特に強固にすることが要請されたのに、前述のような脆弱な護岸を設置させ、本件災害に至るまでこれを放置したものであつて、河川管理に重大な瑕疵があつたことは明白である。

(3) 堰と本堤との接続形式等についての瑕疵

前記のとおり、宿河原堰において堰は本堤とほぼ平行に設置された小堤に取付けられていたが、一般的にいつてこういう小堤があると、これ以上の水位が出てきた場合にその周辺で不規則な流れを生じたり、僅かながら川の断面積を少なくし、川の円滑な流れを妨げることになり、かえつて高水敷や本堤に悪影響を与えるおそれがないとはいえないのであるから、治水上望ましくないというべきである。

ところで、このような小堤を設置した意図は明らかでなく、堰の設計図の上からは小堤によつて計画高水流量までの洪水を防ごうとしたように推測されるが、それにしては小堤の高さが計画高水位よりも低く、しかも三面に被覆工が施されて越流することを予定していたようにみられるのである。しかもこの小堤は当初設計図には存在しなかつたものであり、このように当初設計を変更してまで通常と異なる例外的な施設を設置する場合には、特にその安全性について念を入れて検討すべきであるのに検討した形跡さえもないのであつて、これ自体河川管理の瑕疵といわなければならない。

さらに、小堤を計画高水位よりも低く設置した以上、計画高水流量が流れた場合には高水敷は川底同様になりその上を水が流過することは当然予測されることである。そこで堰設置の許可条件にも「堰の上流一〇メートル以下五〇メートル間の左右両岸堤防には計画高水位迄にコンクリートの護岸を施し」と明示されているのである。従つて、高水敷および本堤が流水によつて洗掘されることがないように保護工を堅固に施すべきであつた。

然るに被告は、高水敷にも本堤にも何の保護工も施さず、全く無防備のまま放置したのであつて、この点が河川管理の瑕疵となることは明らかである。

なお本件災害後、小堤は完全に削られ、高水敷は計画高水位と同程度に嵩上げされたうえ、保護工も実施された。左岸堤防にはコンクリートブロツク工が施され、表法尻下には鋼矢板が打込まれている。これらの改修工事のうち一つでも本件災害前に実施されていれば、本件災害は十分に回避し得たのである。

(4) 護岸の維持管理における瑕疵

宿河原堰左岸取付部付近の護岸がもともと脆弱な形式構造であつたことは既に詳しく述べたところであるが、それに加えて本件災害以前に穴ぼこ、クラツク等が存在し、護岸の維持管理が不適切であつたためますます弱体化したことが護岸の崩壊を速めたのである。

ところで、堰の築造後の洪水と取付護岸の破壊の経緯を経年的に表にすると左記のようになる。

年次

(昭和・年)

出水量

(毎秒・立方メートル)

破壊状況等

二四

本件堰の築造

三三

三〇〇〇

下流取付護岸破壊

三四

二四〇〇

四〇

一四〇〇

下流取付護岸、小堤下流側破壊―原形に改修

四一

昭和四六年よりやや少

四六

一八〇〇

四七

昭和四六年よりやや大

四九

四二〇〇

本件災害

これによると、取付護岸の築堤や改修が行なわれると、その後一定期間は左岸取付部も破壊しないが、七年ないし九年経過すると比較的小さい洪水に対しても破壊してしまうという事実が判明する。このことは、右期間の経過により、維持管理の悪さも手伝つて堰取付部を守るべき護岸が、その役割を十分に果たし得なくなつてくることを示している。右取付護岸が築堤当時の強度を持つていたならば、本件の如き大災害にならなかつた可能性も強いのであつて、このように護岸の維持管理が不適切であつた点にも河川管理の瑕疵を指摘できるのである。

(三) 河川管理の瑕疵(要約)

本件災害は、前述のように、多摩川の狛江地区左岸の河川管理施設(堤防、高水敷はもとより効用上同一の小堤、堰取付部護岸等を含む)が、危険な堰の設置に対応した安全な構造を有しておらず、計画高水流量規模の洪水を安全に流下させ得ないで発生したものであるから、狛江地区左岸は、河川として通常備えるべき安全性を欠いていたことになり、この点において多摩川の管理者たる被告の河川管理については瑕疵があつたものというべきである。

さらに、本川の管理者たる被告は、前述のように、危険な堰の設置を許可し、本件災害が発生するまでの二五年間、これを漫然放置して何らの改善を命ずることもなく十分な監督をしなかつたし、また本件の如き災害を回避するために必要とされる前記河川管理施設の改善を図ることもなく本件災害に至つたのであるから、この点においても河川の管理に瑕疵があつたものである。

5  被告の責任

以上のとおりであるから、被告は国家賠償法二条一項により、原告らが本件災害により蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

6  損害

(一) 概要

原告加藤ハルを除く原告らおよび亡加藤信は、後記のとおり、本件被災地内に土地・家屋を所有し、若しくは同地内の家屋を賃借してここに居住していた者若しくは同地内に土地・家屋を所有しこれを賃貸していた者またはその家族であるが、本件災害によつてこれら所有または居住土地・家屋の流失または損壊の被害を受けた。即ち、本件災害は、原告らの或る者からは生計の基盤となるべき最も重要な財産である土地・家屋を、また或る者からは生活の本拠を、貴重な家財等と共にその目前で奪い去り、原告らに対し多大の財産上の損害と精神的苦痛を与えた。

しかして右の損害のうち、所有土地の流失に関しては、本件災害後被告によつて本件堤防の修復と併行してその復元が行なわれ、この点に関する原告らの損害は一応回復されたが、右以外の損害については、原告らは被告から何らの補償を受けていない。

なお原告らのうちの或る者は、本件災害の水防活動の一環として実施された宿河原堰の爆破作業による爆風によつて所有家屋損傷等の被害を受けたが、このように直接には水防活動に伴つて生じた被害についても、右水防活動を必要ならしめた原因が本件災害の発生にある以上、その間に自然的因果関係が存在することは論を俟たないし、さらに水害発生の場合に水防法による水防管理団体が水害被害を少しでも軽減するために様々な水防活動を行なうことも同法の当然予定しているところであり、本件災害における狛江市の水防活動もまさにそのように社会的に通常予測されたものであることも明らかであるから、それに直接起因して惹起された被害と本件災害との間に相当因果関係が存在するのは極めて当然のことである。

しかして右の損害のうち一部については狛江市からその補償を受けたが、その余の部分については未だ填補されていない。

(二) 水害における損害の特殊性

本件の如き洪水災害は、被災者の生活基盤そのものを破壊する被害の甚大性を特徴とし、それは一個の生活侵害そのものと観念し得るものでさえある。しかるにその損害の賠償を求めるためには、旧来の損害賠償理論の枠内で考える限り必然的に多種目の損害費目の下に含まれる多岐多様の個別の損害を集積して行なわざるを得ないことになるが、これら個々の損害を一々枚挙することは不可能に近く、さらに列挙し得た損害についても金銭的評価が不可能もしくは著しく困難なものが少なくないであろうことは多言を要しない。従つて本件の如き水害訴訟において被害者に全損害に関する個別具体的な主張、立証を要求することは、結局、被害者に不可能を強い、蒙つた損害の十分な回復を訴訟によつてはかろうとする途を閉ざすことと同義である。

そこでこのような場合には、合理的と思われる資料を用いて損害を推計することも、それが控え目なものである限り、正当とされるべきである。本訴においては、個別具体的な損害額の算定の積み重ねという方法によらずに、なお被害の十分な回復をはかるため、次項に述べる定型的な損害額算出方法を案出し、大部分の原告らについてこれを採用したが、この方法は後述するとおり合理的な根拠に基づくものであり、かつ控え目な計算方法といえるものなのである。

(三) 本件における損害額算出方法

(1) 物損について

〈1〉 概要

本件水害によつて原告らが蒙つた損害のうち物損の額は、次のAないしDのいずれかの方法によつてこれを算出した(但しA以下の順序で算出可能なものから採用した)。

A方式 災害発生時の時価が判明している場合には、同価額をもつて損害額とする方法。

B方式 災害発生時の時価が判明しない場合で各財産の取得時の価格が判明している場合には、取得価格に取得時から本件災害時までの消費者物価上昇率を乗じ、さらに取得時から災害時までの経年減価を施して算出した額を災害時の損害額とする方法。

C方式 災害発生時の時価および取得価格がいずれも判明しない場合には、災害発生時の同種、同程度の財産の再取得価格(新品価格)に取得時から災害発生時までの経年減価を施して算出した額を災害発生時の損害額とする方法。

D方式 一定額に限つて損害額を推定する方法。

〈2〉 各費目についての損害額算出の具体的方法

(i) 家屋について

家屋の損害額は、前項のAないしCのいずれかの方式によつて算出したが、そのうちB方式およびC方式の計算方法は次のとおりである。

B方式 取得価額に消費者物価上昇率を乗じて算出した額に施す経年減価率は、社団法人日本損害保険協会(以下「損保協会」という)発行の「保険価額評価の手引き」(以下「手引き」という)所載の「建物経年減価率表」中の「専用住宅表」によつた。

C方式 各建物の基本的部分の構造(木造・非木造の別、屋根および外壁の使用材料と工法)別によつて、「手引き」所載の「建物の評価」の方法、損保協会発行の「専用住宅評価用写真集」(以下「写真集」という)および興亜火災海上保険株式会社(以下「興亜火災」という)発行の「専用住宅建物、家財簡易評価基準表」(以下「簡易評価基準表」という)に従い災害発生時の三・三平方メートル当りの再取得価額(新築価額)を求め、これに建築延面積を乗じ、さらにB方式と同じ方法で経年減価を行なつた。

(ii) 門・塀について

門・塀の損害額は、A方式またはC方式によつたが、C方式を採用した場合の算定は、前記「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」に基づいて行なつた(経年減価は行なつていない)。

(iii) 庭・植木について

庭・植木の損害額は、A方式またはD方式のいずれかによつて算定したが、具体的には次のように行なつた。

A方式 本件災害時に存在した庭・植木の再取得価額を見積り、その額を損害額とした。

D方式 個々の見積りを行なわず、金三〇万円をもつて損害額と推定した。

(iv) 家財について

貴金属、美術品、職業上特別に所有している物等を特別家財とし、これについてはA方式によりその再取得価額を個々に見積つて損害額とし、右以外の家財はすべて一般家財とし、これについてはA方式またはC方式によつたが、C方式を採用した場合の算定は所有者の年令、収入、家族構成および建物の大きさの別に従つて、前記「手引き」所載の「家財の評価」中の「家財簡易評価表」によつて再調達価額を算出し、これを損害額とした(経年減価はA方式の場合は行なつていないが、C方式の場合には行なつている)。

(v) 雑損について

本件災害によつて、右(i)ないし(iv)以外の費目について支出を余儀なくされた雑多の費用を雑損とし、D方式により、家屋を流失して再築を余儀なくされた原告ら(原告岩井健三を除く)については金五〇万円(但し亡加藤信および原告百々洋子については各二五万円)を、その余の原告らについては金三〇万円をもつて損害額と推定した。

(2) 逸失利益について

各原告毎の事情に従い、災害発生直前の収入額に稼動不能期間を乗じて算出した。

(3) 慰藉料について

後述する慰藉料についての基本的考え方を基礎に、各原告について財産上の損害の程度、被災地内の居住・非居住、家族構成等の別に従い、次表のとおりの基準(但し亡加藤信および原告百々洋子については各々同基準の半額)で請求する(以下「E方式」という)。

家族構成

被害程度等

夫婦および子供もしくは老人

夫婦のみまたは独身者

所有・居住土地家屋流出

三〇〇万円

二〇〇万円

所有・居住土地家屋半壊

一五〇万円

居住(賃借)家屋流失

一五〇万円

借室流失

七〇万円

七〇万円

所有(賃貸)家屋流失

七〇万円

所有・居住土地流失

一五〇万円

(四) 弁護士費用について

原告加藤ハルを除く原告らおよび亡加藤信は原告ら訴訟代理人らに対し、本訴の提起・追行を委任し、報酬として第一審判決言渡後遅滞なく各請求認容額の一割五分相当額(但し一万円未満切捨て)を支払う旨約した。

しかして、本件訴訟の難易度、後記被告の態度等を勘案すれば、右は本件災害と相当因果関係内の損害というべきである。

(四) 原告らの損害額算出方法の合理性

(1) 家屋について

〈1〉 「手引き」の信用性

損害保険契約関係にあつては、保険契約の目的物の価額(保険価額)を適正に評価することが右契約締結上の重要な課題とされているが、我が国の全部の損害保険会社およびその代理店が契約締結にあたつて保険価額評価を適正にするための基本的な資料として作成、配布されているのが前記「手引き」である。これに基づき各損害保険会社はさらに独自の保険評価額基準を作成しているが、当然のことながらその内容は「手引き」と大同小異である。この「手引き」は、損保協会内に設けられた特別の委員会が、建築士、不動産鑑定士等の専門家の意見や綿密な実態調査に基づいて作成したものである。その初版は昭和四〇年に発行され、その後物価上昇等の事情の変動に応じて増補・改訂を重ね、本訴において原告らが採用した「手引き」は最新の資料・数値に基づき昭和五〇年一一月一日に発行されたものである。

以上のように、右「手引き」はその作成経緯、体裁および内容に照らせば客観性が高く、かつ信用できる資料であることは明らかである。

「手引き」の信用性は、建物鑑定評価実務研究会編「建物鑑定評価資料」によつても裏付けられる。即ち、これは不動産鑑定士が建物の鑑定業務を行なうについて使用すべきものとして作成された専門的な資料であるが、同書中に採用されている構造概要別の一平方メートル当りの再調達原価は、「手引き」中の「建物標準新築費表」の数値と酷似しており、これによつても「手引き」が実態調査に基づく合理的なものであることがわかるのである。

ところで被告は、「手引き」(および「簡易評価基準表」)によると、例えば木造モルタルリシン吹付の場合、どの建物であつても単位面積当りではすべて同一の再築価格となつてしまい不合理であると主張する。

しかし、我が国の損害賠償請求訴訟において、或る種の分類的区分法に従つて区別された一群の対象物に関する平均的数値(統計的数値)を採用して損害額を計算すること自体は、交通事故訴訟の例に見られるように既に確立された手法である。そして、この手法によると類型的区分内の各個体の数値が平均化された数値によつて画一的に捉えられることも当然のことである。

被告はまた、「手引き」(および「簡易評価基準表」)によつて算出された数値を「建築費倍率表」の数値で除し、これを推定取得価格と対比させるという論法で、保険価額の評価基準による数値の採用は危険であると主張する。

しかしながら、一般に土地・家屋が一括して取引される場合には家屋の価格がある程度割安に見積もられて全体の価格が決められることは常識であり、原告らもこのようにして本件土地・家屋を購入したものであるから、被告のように原告らの主張額を「建築費倍率表」の数値で除して得た数値と現実の土地・家屋一括取得価格とを対比する方法はそれ自体合理性がない。また、原告らはいずれも本件土地・家屋を取得した後、数度にわたつて家屋の増改築を行ない、あるいは必要な修繕を加えるなどして多額の費用をこれに投入しているのであるから、これらの原告にとつては家屋の取得価格とはこれらの中途に投下した費用も含めた総体であることは明らかであるのに、被告はこれらの事情を捨象して、単純に当初の土地・家屋一括購入価格のみとの対比を行なおうとしており、この点からも被告の右主張は合理性がない。むしろ、これら増改築費用を加えた総体としての実際の建築価額を「建築費倍率表」の数値で修正して算出した額は「手引き」(および「簡易評価基準表」)によつて算出した額とかなりの程度に近以し、この点からも右各資料が採用に値する客観性を有するといえるのである。

被告はさらに、「手引き」(および「簡易評価基準表」)は昭和五〇年六月時点のものであるから、仮にこれを採用するとしても本件災害時のそれに修正すべきであると主張する。

しかし、本件災害のような場合にあつては、家屋や家財の再取得には少なくとも一年位の時間的余裕が必要とされることは経験則上明らかであり(現に被告が流失地盤を再形成して原告らに引渡したのは昭和五〇年三月になつてであつた)、従つて昭和五〇年当時の価格そのものをもつて本件被災の損害額とすることは不合理ではない。

〈2〉 「手引き」所載の経年減価の方法の合理性

建物の現在価額を算出するについては、大蔵省令に基づく法定耐用年数(減価償却資産の耐用年数)を用いて行なう方法もあるが、これは企業会計処理上および税法上の便法として定められたもので、物理的、経済的実情にそぐわず(同令では木造建物の耐用年数を一律に二六年、最終残価率を一〇パーセントと定めているが、専用住宅等の場合は、居住者がかなりこまめに所要の補修改造等を加えるのが通常であり、従つて二六年程度で朽廃に達するものは絶無といつてよいし、最終残価率も不自然である)、少なくとも民事上の損害額を算定する方法としては合理性に欠ける。

これに対し、「手引き」所載の経年減価の方法は、建物の等級別(建築費別)に経年減価率と推定耐用年数を設定したもので、個々の建物の建築の程度を資料として採り入れて実情により近づこうとしている点で合理的であり、また設定された数値そのものも経験則上から判断される普通の木造専用住宅の実際の耐用年数や経済的価値とも大きなそごがないと考えられる点で、控え目な損害額算定の基準として採用するに足るものである。

ところで、被告は原告らが当初の建物を取り壊して再築したり、大幅な増改築を行なつている点を捉えて原告らの採用した耐用年数は著しく長期に過ぎると主張するが、これらの再築ないし増改築は家族の増加、成長または生活程度の向上に伴つて行なわれたものであり、家屋の破損の程度が甚だしいためになされたものではないから、被告の右主張は失当である。

(2) 門・塀について

〈1〉 「簡易評価基準表」の信用性

興亜火災発行の「簡易評価基準表」は、前記「手引き」と同様の目的で損保協会が調査した結果に基づいてまとめられたもので、「手引き」について述べたと同様の理由で信用性の高いものである。なお、他の損害保険会社でも右同様の価額表を公表、使用している。

ところで被告は、原告らがあたかも個別の形態を全く無視して門・塀の損害額を算出したかのように主張するが、原告らの請求額は、いずれも本件災害前に存在した個別具体的な形態をできるだけ明らかにした上で(それらはいずれも平均的な木造住宅に付設されるものの範囲を出るものではない)、それに即して「簡易評価基準表」を適用して算出したものであるから、被告の右主張は誤りである。

〈2〉 経年減価を施さないことの合理性

門・塀の如きものは、同種・同等の中古品を再設置することは社会経済的にみて殆ど不可能というべきであるから、その損害額は新品価格によるのが相当であり、経年減価の必要はない。

(3) 庭・植木について

被告は、原告らのうちでD方式を採用している者が包括的に金三〇万円をもつて庭・植木の損害額と主張している点について、その根拠が不明であると主張するが、これについても門・塀の場合と同じく各原告毎に被災前の状況を明らかにしつつ、ただその額を個別・具体的な損害額が明白な原告らの例と比較して控え目に評価したものであり、この程度の損害額は原告らの居住の状況を前提にして経験則に照らしてみても(常識的に判断しても)、何ら不当なものではない。

(4) 家財について

〈1〉 「家財簡易評価表」の信用性

家財は各人の家庭生活を維持するために所持する生活道具の総和であるから、家財の内容は、家財を使用する家族の構成(人数・年令)、生活水準(収入・家の広さ等)等の生活の実態が当然に反映する。そこで、これらの要素をもとにして家財の内容またはその総体的な価額を推計することは合理的である。

本訴において原告らが採用した損保協会の「家財簡易評価表」は、基本的にはこのような考え方に立ち、保険価額を適正に算定する目的で、昭和五〇年六月時点における実態調査や各種統計に基づいて作成されたもので推計の方法自体合理的であるとともに、家屋の評価方法について述べたと同様の理由によつて、客観性の高い資料ということができる。そして、各損害保険会社もこの「家財簡易評価表」に基づき、ほぼ同じ内容の表を作成し、使用していることは家屋の場合と同様である。

なお原告らは、本件被災直後狛江市等の調査にこたえて喪失家財に関する損害一覧表を作成して提出したり税務上の控除を受けるための申告をしているが、これらの損害額は、本訴における家財の損害額をいずれも下廻つておらず、これらの点からも、本訴における家財の損害額が控え目で穏当なものであることがわかる。

〈2〉 経年減価を施さないことの合理性

本訴において家財の損害額をA方式によつて算定する場合には、経年減価は施していない。即ち、家財は、営業上所有される商品とは異なり、財産的価値を保有する手段として所有されるものではないから、年を経過するに従い所有者にとつてその価値が減少するとは限らず、また価値が減少するとしてもその態様・程度は一律ではない。のみならず家財を構成する各財産についてそれと同程度の中古品を取得することは絶体に不可能であるともいえ(本件のように全体としての家財の喪失の場合には特にそういえる)、このような場合には物品を失つた者は新品を購入して原状を回復するより外に方法はない。そうだとすると、少なくとも本件のような場合にあつては、再調達価額(新品価額)自体をもつて損害額とすることが相当であり経年減価の必要はない。

なお、C方式による一般家財の損害額算出については経年減価を施している。これは、本訴において原告らが採用した「家財簡易評価表」の価額が、再調達価額(新品価額)に二〇ないし三〇パーセントの経年減価を施して算出された価額であるところ、同表以外に適切な資料が見当らないので、やむを得ずC方式の場合に限つて右の程度の経年減価を承認したのである。その意味でC方式による一般家財の損害額算出は、十分に控え目な計算方法といい得るのである。

(5) 雑損について

本件被災の結果、原告らは、一時他に住居を求めたり、被災地内に新家屋を再築したりせざるを得ず、そのために引越、転居等の通知、家賃、電話移設、風呂桶・テレビアンテナ等の購入、上棟式、流失した証券類の権利回復等の種々雑多な費用の支出を余儀なくされた。そこでこれらの雑損について控え目に評価して、前記のとおり、金三〇万円または金五〇万円を一律に請求しているのである。

なお、被告は原告らが一律請求の裏付けとして例示した右諸費用の一部について相当因果関係がないかのように主張する。

しかし、被災後の仮寓で使用するために購入し再転居の際残置してきた風呂桶・テレビアンテナ等は、寸法の小さな団地でのみ使用しうるものか、取りはずしが容易でない物品であり、原告らは、将来自己の家屋を再築した場合にこれらの物品を引き続き使用することはできなくなることを知りつつ、必要やむを得ずこれらを購入せざるを得なかつたのであるから、これが本件災害と相当因果関係の範囲内の出損というべきは当然である。また転居に伴う諸費用、家屋再築に伴う上棟式費用・保存登記料等の出費についても、それらはいずれも被災の結果出損を余儀なくされたものであることに変りはなく、かつ社会的にみて通常予測される範囲のものばかりであることは明白であるから、これらを本件の損害とすることに何の問題もない。被災後一部の原告らが東京都から提供された都営住宅と併せて他にも仮寓を設けた費用および転居を重ねた費用についても、前者は提供を受けた都営住宅が狭隘で、受験を控えた子供を抱える家庭にとつては到底これのみでは足りなかつたためやむを得ず行なつたものであるし、後者も被災後すぐには従前の環境に比肩する居住先を見つけ出すことができずにとりあえず不満足な住居に仮寓し、その後ようやく適当な落ち着き先を見つけて再転居したという事情によるものであり、しかも、いずれの場合の費用もこの種のものとしては格別高額なものではないから、これらの費用の支出が本件被災と相当因果関係の範囲内にある損害といえるものであることはいうまでもない。

さらに被告は、被災前に家屋や貸室を賃借していた原告らについて、被災後一定期間都営住宅または東京都住宅供給公社住宅に無償で入居したことを把え、結局この間旧住居の賃料の支払を免れたことになるから、雑損より控除すべきであると主張する。

しかし、これらの原告らは、右住宅に仮寓することによつて被災前と同等の快適な住居環境を獲得したわけではないから、旧住居の賃料の支払を免れたからといつてそれが利得にならないことは明白である。

ところで、原告らが本訴において雑損について種々の出費の項目を挙げかつ立証したのは、雑損という費目の下に一括して請求している金五〇万円または金三〇万円という金額の妥当性を根拠づけるための例証として行なつたにすぎない。そして、これらの例証によれば、各原告の右雑損額を大幅に上回ることは明らかである。従つて、被告が右の例証のうちの若干のものについて異議を唱えあるいは利得の控除を主張したとしても、それらが原告らの損害額の大勢に影響するものでないことが明らかである以上、被告の前記主張の成否は原告らの雑損請求額の成否に消長をきたすものではないというべきである。

(6) 逸失利益について

被告は、家屋流失に伴い再建築までの間の賃料収入喪失による逸失利益を主張する原告らが、被災後流失家屋に代え新たな家屋を建築して賃貸し、各世帯から権利金を収受したことを把え、右権利金相当額は逸失利益より控除すべきであると主張する。

しかし、これらの原告らが家屋の流失後に新たな家屋を建築したうえそれを他人に賃貸して権利金を収受したとしても、その権利金はあくまでも新たな家屋につきその入居者に対して入居権利を認めることに対する反対給付の性格を有するものであるから、家屋流失後の逸失利益の算定にあたつては全く顧慮する必要はない。

(五) 慰藉料についての基本的考え方

本件災害によつて、原告らおよびその家族が蒙つている損害は、家屋等の流失による財産被害にとどまらず、むしろそれ以上に、原告らおよびその家族全員がそのよつて立つ生活基盤を瞬時にして奪われたことによる生活破壊において一層深刻である。

(1) 生活設計の根本的破壊

本件災害により、原告らの生活設計は完全に破綻せしめられ、再び多額の借財を背負わされて再出発せざるを得ない立場に置かれるに至つている。

本件被災地域に居住していた各原告にとつて、その住居が自己所有であれ、賃借であれ、それぞれがその生活設計のもとで、大変な苦労の末に安住の本拠として築き上げてきたものである。都市近郊に自己所有の住宅を求めることは決して生易しいことではなく、原告らはいずれも家族ぐるみの必死の努力によつて住宅を獲得してきたのである。そして、ある原告は借財を返済し、あるいは借財のめどがたちつつあり、住宅費負担の重圧から解放されつつある状況にあつた。また、他の原告は旧住宅を新住宅に建てかえて、借財を背負つたばかりのときであつた。本件災害は、この矢先に原告らの努力の結晶としての住宅をいつきに奪い去つてしまい、原告らは再び多額の借財を背負わされ、旧住宅を新住宅に建てかえたばかりの原告らは、二重の借財を背負わされ、その返済に追いかけられる生活を余儀なくされるに至つたのである。そのため、住宅費負担の重圧から解放された段階でそれぞれの計画していた生活設計が根本から破壊されるところとなつてしまい、このことによる精神的負担は極めて重大である。

(2) 回復不能の被害

本件災害により原告らは、その生活基盤を一挙に失ない、とりかえしのつかない様々な被害を蒙つている。

原告らは、被災前の住居を生活の本拠として、さらには職業生活の本拠として、充実した生活を築き上げていたのであり、これを土台にして各原告とその家族一人ひとりに将来を展望した生活の基盤が成り立つていたのである。ところが、本件災害により、ある原告は生涯をかけて蒐集してきた貴重な文献を、家庭の主婦は家計簿・献立表・裁断紙等の生活の記録を、大学や高校の受験期を迎えた子供達は入念に整理されたノート等を、さらに結婚式を待つばかりの若い女性にとつてはとりそろえられた婚礼用具を奪い去られ、その他の原告らおよびその家族においても、丹精こめた庭の植木・想い出の数々をはりつけたアルバム・様々な記念品等の人生の歩みの足跡ともいうべき愛蔵の品々を一挙に失つてしまつたのであり、このことによつて、原告とその家族が現実に蒙つてきた精神的苦痛は、金銭的には償い切れない重大なものがある。

(3) 消え去ることのない恐怖の悪夢

本害災害は、原告とその家族を不安と恐怖のどん底に叩き落とした。

昭和四九年九月一日深夜から同月三日午後にかけて、目の前で愛着の限りの土地・家屋・家財等があいついで流失していつたのに、原告らおよびその家族は、不安と恐怖のるつぼの中でなす術もなく茫然とこれを見守るしか他に方途がなかつたのであり、当時の状況は、今なお原告らおよびその家族にとつては忘れ去ることのできない悪夢として、生涯消えることのない衝撃となつているといつても過言ではない。

(4) 財産被害の補完性

本件災害によつて原告らが蒙つた損害は、財産的損害についてみても財産類型別の積算によつては、積算し切れないものがある。

財産的被害について仮に交換価値の填補があつても、原告らとしては現実にはこれ以上の損害(例えば減価償却分の出費)を蒙る破目に陥つており、これは微細に算出することができないのである。また、財産的損害についてそれなりの賠償が得られたとしても、賠償されるまでに費した時間・労力・諸雑費および借財の返済を余儀なくされた期間の生活へのしわよせ等、到底財産類型別の積算では計算し尽せないものがある。さらに、本件災害直後の生活の不便さ、即ち、通勤の不便さ・通学の不便さ・買物の不便さ等は交通費等の実費の補填では到底償い切れないものがある。以上のような財産的被害として見積り尽すことのできない様々な被害について、微細に積算することは不可能であるので、慰藉料によつて補完さるべきである。

(5) 応訴態度の不当性

被告が本訴提起前にとつてきた不誠実な態度および本件審理においてとつてきた不当な応訴態度によつて、原告らの精神的苦痛は一層増大してきている。

被告のこうした一連の態度を制裁するものとして慰藉料を斟酌すべきである。

以上述べてきたところから明らかなように、本件における慰藉料は、個々の原告とその家族構成員全体の慰藉料を、各原告が代表して請求しているのであつて、各原告の請求には、その原告の家族全体の分が包摂されている。

また本件における慰藉料は、その基本において、各原告およびその家族の生活利益の破壊に伴うものとして主張しているのであつて、単なる財産権侵害による慰藉料にとどまるものではない。

(六) 各原告の蒙つた損害 <略>

7  結論

よつて、原告らは被告に対し、不法行為の後である昭和四九年九月四日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付加して請求の趣旨記載のとおりの金員の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否および反論

1  請求原因1について

(一) 同(一)のうち、原告ら主張の者が水防活動等により被害を蒙つたことについては不知、その余の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は認める。

2  請求原因2について

(一) 同(一)の事実は認める。

多摩川の中流部は、右岸多摩丘陵と左岸武蔵野台地の中間の最も低い所を、ほぼ北西から南東に大きく蛇行して流れており、後述のとおり、昭和七年以降狛江付近についても、多摩川上流改修工事の一環として本格的な改修事業が実施された。右事業は主として大規模な連続堤を施工したものであるが、川筋については従来の河川の蛇行が概ね尊重され、従来の河川の両岸に築堤工事が施された。新築された両岸の堤防の内側では、低水路(河道のうち、低水のとき流れている部分)がさらに蛇行しており、低水路が左右岸の一方に片寄つた場合には、洪水時の水流が主に低水路に沿つて流下するため、対岸は水裏(河川が蛇行している場合、水あたりの強い部分を水衝部といい、その反対側を水裏という。)となり、そこには高水敷が形成される。多摩川は、その大部分がこのような河川形態を川筋に沿つて繰り返しているのである。このため、低水路が堤防に近く水衝部を形成している場合には、低水路法面および堤防等に護岸を施して破堤に備え、逆に、水裏で高水敷が存在するところでは、直接に破堤等の災害を惹き起こす外力が生ずることは少ないと考えられ、築堤を実施してそれに芝付けを行なつて堤防を保護する方法が採られている。狛江付近においては、低水路は極端に右岸側に片寄り、左岸側は完全な水裏で高水敷が存在していたが、改修工事後においても、低水路は右岸側に片寄り、左岸側は堆積傾向を示し、高水敷を有する左岸堤防はますます安全な傾向を示していたものである。

(二) 同(二)のうち、(1)、(3)の前段、(4)、(5)ないし(7)の各前段および(8)ないし(12)の各事実は認めるが、その余の事実は不知。

(三) 同(三)のうち、本件洪水が格別異常な洪水ではなかつたとの主張は争い、その余の事実は認める。

本件洪水は、原告ら主張のように洪水流量としても毎秒約四二〇〇立方メートルであり、戦後最大もしくは二番目、宿河原堰設置後始めての規模のものであること、水位としても、水防法により定める警戒水位をはるかに超過したことなどから、格別異常な洪水でないとすることはできない。

なお、原告ら主張のように石原地点および田園調布水位観測所においての水位は、計画高水位より下位であつたものの、これは当該地点の河道断面が、計画高水位設定の際の計画断面以上に存し、河床が低かつたため生じた現象にすぎない。

3  請求原因3について

(一) 同(一)のうち、前段の事実は認めるが、後段の事実は否認する。

(二) 同(二)について

(1) 同(1)のうち、宿河原堰が多摩川のような流量の大きい大河川の平地部に位置する堰としては、高くかつ可動部の少ない堰であつたことは否認する。その余は不知。

(2) 同(2)のうち、堰左岸下流取付部護岸の法勾配が一・五割ないし二割であること、同護岸が厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたことは認めるが、同護岸が構造上または材質上脆弱で耐久性を欠くものであつたことは否認する。

(3) 同(3)のうち、本件洪水の宿河原堰地点における最高水位がA・P二三・一ないし二三・二メートル、同じく計画高水位がA・P二二・八四メートルであつたこと、小堤の高さ(A・P二二・四ないし二二・六メートル)が右最高水位および計画高水位よりも低いものであつたこと、本件災害において計画高水流量が流れる以前の段階で堰上流部の小堤からの越流が始まつたことは認める。

(4) 同(4)のうち、小堤の高さが計画高水位よりも低いものであつたことは認めるが、その余は不知。

(5) 同(5)のうち、宿河原堰が直接本提に取付けられていなかつたこと、堰嵌入部が高水敷の地表下約一メートルのところに一五メートルだけ入つており、本堤までつながつていなかつたことは認めるが、その余は否認する。

4  請求原因4について

(一) 同(一)の主張は争う。

(二) 同(二)について

(1) 同(1)のうち、本件災害当時において堰の取水量が堰設置時点より減少していたことは認めるが、高くかつ可動部の少ない堰の設置を許可した点および堰を高いまま放置した点に河川管理の瑕疵があつたことは否認する。

宿河原堰について治水上の評価をなすにあたつては、まず初めに河川管理における利水面の機能に触れておく必要がある。いうまでもなく河川管理者は、治水上の観点からのみ河川を管理するものではなく、河川法一条に規定しているように洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、および流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理する必要がある。こうした河川利用の目的から、河川内には多くの工作物の設置が許可されている。例えば、利水上の目的から堰、取水塔、取水樋門、利水ダム等が、舟運のためには桟橋等の係留施設が設けられている外、道路や鉄道の橋梁およびトンネル等が設置されている。河川内に工作物を設置することは治水上の観点のみからいえば決して望ましいものではない。しかしながら、一方においては、社会生活上これらの工作物の設置の必要性を否定できないこともまた明らかである。河川法二六条はこうした工作物の新築等を河川管理者の許可にかからしめているが、河川管理者としては、これらの工作物が河川内に設置された場合における治水上の安全性を考量した上でその許可を与えているのである。

ところで原告らは、宿河原堰は高くかつ可動部の少ない堰であるとし、河川管理者がこのような堰の設置を許可し放置してきたのは怠慢であると主張するので、これについて以下に反論を加える。

まず可動部についていえば、宿河原堰設置当時は勿論、昭和三〇年代の中頃までは可動部の幅(径間長)を長くする技術は開発されておらず、また十分信頼できるゲートの開閉技術もなく、大河川に本格的な可動堰の設置が試みられることは昭和三〇年代中頃までは少なかつたのである。仮に本件堰を可動堰にするとすれば、その設置当時の技術水準からは四〇以上の堰柱を設ける必要があり、洪水時の流木等による堰の閉塞、ゲートが開かない可能性等を考えればむしろ危険であり、当時としては望ましくなかつたといわなければならない。そして、昭和三〇年代半ば以降の技術革新により大河川での可動堰の設置が可能になつたとしても、それ以降新たに堰を設置する場合はともかく、治水上何ら明らかな理由もなく(即ち、本件堰において本件災害の発生が予見し得なかつたことは後述のとおりであり、結果的にみてもその発生の蓋然性はきわめて低いものである)、単に可動堰を設置することが技術的に可能となつたことのみを理由にその改築を命じることは、堰の管理者に対して過大な負担を強いるものというべきである。

また、堰の高さをいう場合、原告らが何に対する高さを問題とするかは不明であるが、仮に堰取付部の強度との関係でその高さを問題とするのであれば、後述するように、宿河原堰左岸は、想定し得る流水の作用に対しては十分な安全性を有していたのであるから、本件災害前の判断として本件堰を高いということはできないはずである。

なるほど、本件災害当時において堰の取水量はその設置時点より減少していたことは前記のとおりであり、河川管理者はその取水のための水利使用の許可更新の申請について昭和四三年以来その許可を保留し、取水必要量の精査を行なわしめていたことからすれば、現時点において、利水的な意味では、本件堰は堰設置当時の高さであることを要しないものといえる。しかしながら、このことから直ちに本件堰を本件災害前にその取水量に対応して低くすべきであつたということにはならない。堰の高さを常に利水上必要な最低限度の高さに改築する必要があるとすれば、受益灌漑面積は年を追つて変動するのであるから、堰はしばしば改築を要することとなつて徒にその工事に要する費用の負担を大きくするだけである。また利水量の適正さを維持するためには必ずしも堰の改築まで要せず、取水樋門の操作等によつてその適正化を図ることができるのである。従つて、堰の高さが利水上必要とされる以上に高い場合であつても、そのことが治水上明らかに危険であると判断される場合でなければ、河川管理者が堰の管理者に対してその改築を命ずることは過大な負担を強いるものというべきである。

結局、堰の高さおよび可動部の範囲をどれほどにすべきかについては具体的な基準を設定できるものではなく、一般論として、堰は低ければ低いほど、可動部は広ければ広いほど(但し、可動部については前述のように技術の進歩を考慮しなければならない。)抽象的な意味での危険性が少ないといい得るにとどまるのであつて、原告らの主張する水害防止協議会の決定事項も右の趣旨以上に出るものではない。本件堰の高さおよびその可動部の少なさから本件災害の発生を予測することは到底不可能であつて、原告らが単にこのような一般論から本件堰について河川管理者の責任を問題とするのは何ら理由がないというべきである。

(2) 同(2)のうち、宿河原堰左岸下流取付部護岸が一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたこと、右取付部の災害は本件災害が始めてではなく、昭和三三年に右護岸の一部が被災している外、昭和四〇年にも右護岸の一部と小堤の一部が破損していたこと、これらの被災に際して河川管理者は堰の管理者をして原形復旧させたこと、上河原堰の旧取付部護岸が昭和四一年の堰本体の被災後現況のように改修されたことは認めるが、宿河原堰の左岸下流取付部護岸の形式構造等が脆弱で耐久性を欠如していたこと、上河原堰が宿河原堰と同様の構造であつたこと、宿河原堰が高くかつ可動部が少ないという欠陥を有していたこと、脆弱な護岸を設置させ、本件災害に至るまでこれを放置した点に河川管理の瑕疵があつたことは否認する。

護岸は、河岸や堤防の浸食防止を図るものであり、土の表面を石材、コンクリート等で直接被覆するものであるが、これが逆に河岸付近の流速を増すことになるため、護岸の表面は努めて粗くするように突起や凹凸をつけて流速を減ずる措置が講じられており、その護岸の設置箇所、延長、工種等は殆ど経験により定められている。宿河原堰の取付部護岸として用いられた植石コンクリート護岸は、流水に対して抵抗を与えるためコンクリート表面に石を植え込んだもので、この工法は、多摩川の水衝部では十分にその目的を達することが経験的に確認されている。因みに多摩川中流域の護岸の構造は昭和四〇年当時その四九パーセントが植石コンクリートを施されていたし、本件洪水に際して宿河原堰右岸側の水衝部においては、同様の工法により設置されていた右岸堤防の洗掘を防止することができただけでなく、堰左岸の上流側においても、低水路法面の崩壊防止の目的を十分に果たしたのである。なお、堰下流部および堰左岸取付部護岸の法先には、厚さ四〇センチメートル程度のコンクリート床板による護床工が設置されていたため、本件洪水においては、堰下流部では護床工の一部が流失したものの、左岸側取付部護岸の法先では、護床工は何ら損壊することなく災害後もその原形をとどめており、堰本体および護岸法先の洗掘、損壊防止の役割を十分に果たしたのである。

なお、昭和四六年竣工の上河原堰の左岸に比較すれば、宿河原堰左岸取付部の護岸は弱体であつたと考えられるが、後に述べるように左岸に水衝部のある上河原堰と、水衝部が反対の右岸にあり、しかも左岸には広い高水敷を有する宿河原堰とでは、流水の作用等の条件を異にするのであるから、これらの差異を抜きにして、その護岸の施行方法を比較すること自体意味のないことである。上河原堰については、過去に上流側左岸の破堤が生じたり(昭和二二年)、堰本体の大破(昭和四一年)があつたため、堰自体の新築の際、その周辺の流水の作用等を考えて、堰左岸取付部には相当の強度をもたせるべきであると考えられたのであり、そのような事情にない宿河原堰について、これと比較することはできないというべきである。

ところで原告らは、宿河原堰左岸について昭和四〇年の災害復旧の際、原形復旧すべきでなかつたと主張する。なるほど本件災害が堰左岸下流取付部の破壊を端緒として生じたことを考えると、右災害復旧の際、堰左岸取付部を原形復旧することなく、これに対し何らかの改良復旧を施しておけば、本件災害を軽減することができたと思われる。しかしながら後述のとおり、昭和四〇年の堰左岸下流取付部の小規模な破壊をどのように考えても、本件のような堤内災害の発生を予測することは到底できなかつたのであるから、右災害復旧に際して原形復旧を行なうべきでなかつたというのは、所詮結果論でしかないのである。因みに、災害復旧は本来、原形復旧を原則としており(農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置に関する法律二条六項。なお公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法二条二項、三項参照)、河川管理者としては、明確な理由もなく、堰の管理者に対して改良復旧を命ずることはできないというべきである。

(3) 同(3)のうち、小堤の高さが計画高水位よりも低く、三面に被覆工が施されていたこと、小堤は当初設計図には存在しなかつたことは認めるが、河川管理に瑕疵があつたことは否認する。

小堤は、昭和二二年から昭和二四年にかけて当時の堰管理者である神奈川県が施工したものである。宿河原堰設置の許可関係文書は現存しないため、原告らの指摘する当初設計図が最終的な許可に係る図面かどうかも不明であつて、小堤設置の経緯は明らかでないが、右小堤の一部は、前記設置時点の二〇数年前から既に存在しており、本堤に対して直接多量の流水が作用することを防止してきたのである。従つて堰管理者が、従前から存在した小堰を延長して第一線堤の機能をもたせ、本堤に作用する流水の量を制限させようと考えたとしても、そのこと自体は決して不合理ではない。堰を設置した場合、いわゆる堰上げの影響により堰上流の水位が上昇し、高水敷を流下する流量が増大すると共に、その継続時間が長くなることが予想されるため、上流約八〇メートルまで既存の石堤を下流へ連続させて小堤とし、堰上流から高水敷へ流入する流量およびその継続時間の減少を図り、高水敷あるいは本堤法面の洗掘の防止が図られたのである。その結果、本件災害前の殆どの出水の場合、この小堤は高水敷や本堤を洪水から防護してきたし、本件洪水においても、堰上流の小堤決壊前、毎秒一〇〇ないし一五〇立方メートルの流量が小堤を越流し高水敷を流下したが、流速は毎秒三メートル以下であつて高水敷または本堤が洗掘などの悪影響を受けることはなかつた。従つて本堤に護岸を施すことと小堤を設置することとを比較した場合、本堤に作用する流水の影響を小堤を設置した場合の方がはるかに少なく、また小堤を越流しない程度の出水では小堤の有用性は明白である。ましてや、安定した高水敷を除去して本堤に直接堰を設置するといつたことはおよそ非現実的な工法というべきである。

なお原告らは、小堤の高さが河川の計画高水位より低かつたことを問題とする。前述したように、小堤設置の経緯は明らかでなく、従つて堰管理者がいかなる理由で小堤の高さをA・P二二・四ないし二二・六メートルとしたかは不明であるが、小堤の高さが本堤の高さから余裕高一・五メートルを差し引いた高さ即ち河川の計画高水位より低いことは容易に判断できるのであるから、河川管理者が、小堤の高さが河川の計画高水位より低いことを認識していたことは明らかである。問題は、小堤が有していたその高さにおいて本件災害を含め何らかの具体的な災害の発生を予測することができたかどうかである。小堤の役割が高水敷の保護と本堤に対する流水の作用の緩和にあることは前述したとおりであり、高水敷は下流からの欠け込みがない限り、本件程度の洪水では小堤からの越流水のみによつて洗掘されることはなかつたのであるから、小堤の高さが計画高水位より低かつたこと自体には何らの問題も存しなかつたといわなければならない。

さらに原告らは、小堤が本堤の近くにほぼ平行して設けられていたことを問題とするが、本件災害では、小堤の越流が高水敷の上流部から始まり堰直上流部の小堤の破堤が起つた時には、既に高水敷に流水があつたため本堤等に直ちに悪影響を与えることにはならなかつたのであるから、右のような小堤の存在を問題にすることは全く当を得ないものというべきである。

(4) 同(4)のうち、昭和二四年に本件堰が築造されたこと、昭和三三年および昭和四〇年に原告らの主張するとおりの出水があり、その主張の箇所が破壊されて原形に改修されたこと、本件災害における出水量が毎秒四二〇〇立方メートルであつたことは認めるが、宿河原堰左岸取付部付近の護岸がもともと脆弱な形式構造であつたこと、護岸の維持管理が不適切であつた点に河川管理の瑕疵があつたことは否認する。

被告は河川管理者の立場において、護岸については勿論、堰本体、高水敷等についても通常の維持管理を実施し、かつ堰管理者をして実施させてきたものであつて、その管理上本件災害の発生につながる直接の原因は何ら存しない。そもそも護岸の維持管理について通常行なわれる修理等で本件のような大洪水による災害から防ぐことは困難であるというべきなのである。

(三) 同(三)の事実は否認する。

5  請求原因5は争う。

6  請求原因6について

(一) 同(一)のうち、原告ら主張の者が災害を蒙つたこと、被告が本件堤防の修復と併行して原告らの一部の所有する土地を含む土地を復元し、所有土地流失についての原告らの損害が回復されたこと、被告が原告らに対して何らの補償を行なつていないことは認める。本件災害により発生した損害の具体的内容ならびに水防活動に係る被害およびその補償については不知。本件災害と水防活動に係る被害との間に相当因果関係が存在することは否認する。

水防活動は、水防管理者たる狛江市長が行なつたものであるが、水防活動による被害は、水防法二一条二項により水防管理団体たる狛江市が補償義務を負うのであるから、同市に対しその補償を請求すべきものであつて、被告に対しその賠償を求めることはできないというべきである。

(二) 同(二)ないし(四)の事実は不知。

原告らが主張する損害額算出方法についての反論は次のとおりである。

(1) 家屋について

流失家屋の損害額の算出は、本件災害発生時の時価によるべきことはいうまでもない。ところで本件において、家屋を流失した原告らの大半は損害保険における保険価額評価基準により右時価を算出しているのであるが、右方法により算出された建物の価格は必ずしも原告らの流出家屋の客観的な時価を反映しているものとはいえず、原告らの損害額算出方法は極めて疑問であるといわなければならない。即ち、

〈1〉 まず、原告らが損害額算出に当たり用いた資料は損保協会発行の「手引き」であるが、右「手引き」所載の「建物標準新築費表」は、保険契約事務を簡便に処理するために幾つかの標準建物を想定し、その建築費を概算することによつて得た大雑把な数値に過ぎず、個々の具体的な建物の評価に当たつては同表はあくまで参考程度にのみ使用されるべきものである。まして、原告らは同表を適用するに際し、単に屋根と外壁にのみその区別の指標を求めているに過ぎず、その評価はさらに不正確を極めている。現に原告らの流失家屋については当然個々の建物毎に材料、工法等の違いが考えられるにもかかわらず、例えば木造日本瓦葺モルタルリシン吹付の場合、単位面積当たりではすべて同一の再築価格となる不合理性が生じているのである(<略>)。

〈2〉 また「手引き」も指摘するように、取得時における新築費がわかる限り、それに「年次別建築費指数表」中の該当指数を用いて再築費を推算し、それにより裏付けてみるのも一方法である。例えば原告伊藤芳男について、その主張による再築費(309,000円×40.49/3.3)に右指数表の数値(ここでは簡単のため興亜火災発行の「簡易評価基準表」所載の「建築費倍率表」の数値五・五を用いて除する)を当てはめて昭和三〇年当時の新築費を逆算すると約六八万九〇〇〇円となるが、同原告は右当時土地および家屋を一括して金七〇万円余で購入したものであるから、土地価額分はほとんど無償に近い結果となり、その不合理性は明らかである。このことは、保険価額評価の基準を適用した場合、現実と遊離した高額の数値が算出される危険性を十分に示すものというべきである(同様のことは原告尾崎信夫、同宅間三千夫、同那須義高、同横山十四男、同渡辺規男および同柿沼和子についても指摘することができる)。

〈3〉 さらに原告らは、建物の経年減価率についても「手引き」所載の「建物経年減価率表」の数値を用いてこれを毎年一・五パーセント(但し、原告渡辺規男については一・九パーセント)とするのであるが、右数値を安易に使用することも極めて疑問である。即ち、同表は建物の推定耐用年数を五三年とする前提に立つのであるが、右年数は、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和四〇年三月三一日大蔵省令第一五号、その後数次の改正を経ている)別表第一によれば、木造または合成樹脂造の住宅用建物の耐用年数が二四年とされていることと比較して著しく長期というべきである。原告らは、大蔵省令による法定耐用年数は税法上の便法として定められたもので、物理的、経済的実情にそぐわない旨を主張する。なるほど法定耐用年数が税法上の目安であるとしても、実務上の運用としては同年数より数年延長された数値が用いられる程度であり、法定耐用年数が基準値としての意味を否定されることはない。因みに、公営住宅法施行令(昭和二六年六月三〇日政令第二四〇号)四条によれば、木造住宅の償却の期間は二〇年とされているのであつて、仮に大蔵省令による法定耐用年数(二四年)を使用する際に若干の修正を要するとしても、木造建物の推定耐用年数を三〇年を超えて見積ることは著しく不合理というべきである。

もつとも、「手引き」による経年減価率の数値が低いのは、標準建物につき普通の維持管理が行なわれていることを前提にしているためと考えられるが、常識的にみて木造建物を五三年間耐用させるためには相当の補修を要するのであるから、建物の保存状態を具体的に検討することなく安易に前記「経年減価率表」を用いることはできないというべきである。現に原告らの多くは、昭和三〇年に建てられた当初の建物をその後二〇年経過前に既に取り壊して新築するか、または大幅な増改築を施しているのである。このうち、増改築費用に基づいて損害額を算定している原告については、その相当部分は家屋の補修費用として評価控除されるべきであり、それをすることなく耐用年数を五三年とするのであれば、建物の適正な時価を算定することにはならないというべきである。

〈4〉 ところで原告らのうち増改築に係る費用を損害額と主張する者(例えば原告伊藤芳男、同尾崎信夫、同辰巳栄憲、同那須義高等)は、何ら修正を施すことなく「簡易評価基準表」の新築費価格を用いて損害額を算出しているが、同表による新築費は建物の基礎工事費を含む価格であるから、増改築等基礎工事が不要な場合の建築費については相当の減額を要するというべきである。

〈5〉 本来、建物の時価の算定については鑑定によるのが最も妥当であるが、それが不可能であるとすれば、それに代わり得る客観的な評価方法が望まれるべきである。原告らの主張する評価方法は、個々の建物の状態を多く捨象しており到底鑑定に代わり得る客観的な評価方法とはいえない。仮に右方法によるとしても、既に指摘したように個別の建物の状態に応じた適切な適用がなされるべきであり、少なくとも取得価額から推算される時価との比較検討程度は試みられるべきである。なお、「手引き」の数値は昭和五〇年六月現在のものであるから、本件災害時における家屋の時価の算定に当たつては、一定の修正が必要であることはいうまでもない。

次に、非流失家屋の損害額の算出について、原告らはA方式により修復費用をそのまま損害額としているが、修復により家屋は本件災害時よりその価値を増大したことは明らかであるから、相当程度の控除がなされるべきである。

(2) 門・塀について

原告らの門・塀の損害についても本件災害時における時価をもつて損害額とすべきことは家屋と同様である。ところで損害額算定に当たりC方式を採用している原告らは、興亜火災発行の「簡易評価基準表」における門塀価格の評価基準により右時価を算出しているのであるが、右評価基準は「手引き」に掲載されていないことからも明らかなとおり損保協会が調査作成したものではなく、単なる一保険会社の資料に過ぎないから、本件訴訟において損害額算定の基準として用いられるべきではない。

仮に右評価基準によるとしても、それぞれについて異なる門・塀の時価を算定する際に同評価基準を一律に用いることが適当でないことは、家屋について述べたと同様である。従つて、門・塀の時価を算定するに当たつても流失時の現実の形態に即して行なうべきである。また右評価基準は昭和五〇年当時のものであり、かつ経年減価を行なつていない新品価格についてのものであるから、その適用に当たつては当然に一定の修正および相当の減価償却が必要である。

(3) 庭・植木について

庭・植木について、原告らの多くは災害後における原告らの記憶に基づき一業者に再取得価格を見積らせ、それをもつて損害額としているが、庭・植木の時価は品種・手入れの状況等によつて大きく異なり、単に記憶による木の種類・太さ・大きさ等だけからは到底適正な時価を算定し得ないばかりでなく、庭・植木の価値の評価に当たつては主観的要素の占める割合が大きいため、単なる一業者の見積りのみでは評価額の客観性に欠けるものといわざるを得ないから、右のような事後の見積りをもつて原告らの損害額の根拠とすることはできない。

また他の原告らは個々の見積りを行なうことなく包括的に金三〇万円の損害を被つたものと主張するが、庭・植木の時価が右金員を下らないとする根拠は不明であつて、右主張は失当というべきである。

(4) 家財について

家財の損害額についても、家屋の場合と同様、本来災害時の時価によるべきである。原告らが用いる「家財簡易評価表」は、多数の保険契約事務の処理上平易簡便であることが要請されるところから便宜的に作成されたものに過ぎず、到底個々の原告の家財の時価を正確に反映するものとはいえない。

原告らは家財の損害額を算定するに当たり経年減価を行なうことは不要である旨主張する。しかしながら、物の滅失による損害の賠償は、被害者の不当な利益を避けるためにも原則としてその物の滅失時の時価によるべきことは当然である。原告らは経年減価を不要とする理由を述べるが、むしろ所有者にとつての主観的価値の喪失はもはや財産的損害ということはできないし、また物の価値の減少の態様・程度が一律でないとしてもそのことが直ちに滅失毀損した物の損害額をその物の再取得価格(新品価格)により算定すべきことに結びつくものではなく、さらに滅失毀損した物と同程度の中古品を取得し難いことについても、そもそも損害賠償が滅失毀損した物の価値の補填を目的とするものである以上、その物が中古品であれば中古品としての時価をもつて賠償額とせざるを得ないはずである。

なお、原告らのうち相当数の者は、訴外人であるその妻子父母等の所有に係る家財の損害についても本件訴訟において請求しているが、これら訴外人の損害は原告らが被つた損害とはいえないのであるから、その損害は右訴外人らが各自請求すべきものであり、原告らの本訴請求のうち右訴外人らの損害に係る部分は失当というべきである。

(5) 雑損について

原告らは雑損として一律に金三〇万円または金五〇万円の請求をし、その裏付けとして種々の費用の支出がなされたことを主張するが、その中には必ずしも本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害とはいえないものも多く含まれている。例えば、本件災害後の転居先の仮住居で使用した風呂桶・テレビアンテナ等の物品について、その後被災地に家屋を新築し再入居する際、右物品を仮住居にそのまま残してきた等の理由から、その購入のための支出額をすべて損害とすることは疑問であり、また本件災害による損害には新たに家屋を新築することに伴う費用の支出まで含まれるものでなく、流失した家屋についての交換価値の喪失による損害および災害に直接起因して支出を余儀なくされたことによる損害に限られるべきことは当然であるから、新築家屋の上棟式費用・保存登記料等をも本件災害による損害とすることはできない。さらに、本件被災に対する見舞いを受けたこと等による返礼等のための費用は、見舞いを受けたことを直接の原因とし、日常の交際上の必要から支出したものであるから、本件災害との間に相当因果関係を有するものとはいえず、仮に因果関係があるとしてもその全額を損害とすべきではない。従つて、雑損としての損害額は原告らの主張する額よりはるかに低額に見積るべきである。

なお、後述するとおり、アパート居住者、借家人等の賃借人であつた原告らは、被災後一定期間都営住宅または東京都住宅供給公社住宅に無償で入居し、この間旧住居の賃借料の支払を免れているのであるから、右賃借相当額は本件災害により利得したものとして、当該原告の損害額から控除すべきである。

(6) 逸失利益について

後述するとおり、家屋流失に伴い再建築までの間の賃料収入喪失による逸失利益を主張する原告らについては、被災後流失家屋に代え新たな家屋を建築して賃貸し、各世帯から権利金を収受したのであるから、右権利金相当額は実質上本件災害により利得したものとして、当該原告の損害額から控除すべきである。

(三) 同(五)の事実は不知。

原告らは本件災害により精神的損害を被つた旨主張するが、そのいわゆる精神的損害は、結局のところ本件災害による原告らの財産的損害に付随するものというべきであるから、右財産的損害が補填された場合には、同時に精神的苦痛も慰藉されるものであり、本件において慰藉料請求権は発生しないと解すべきである。即ち、

(1) 原告らは本件災害により精神的苦痛を被つたことの理由として、まず「生活設計の根本的破壊」ということを挙げ、原告らが本件災害により家屋流失という被害を受けたため再び家屋を建築する必要上多額の借財を負うに至つたことを主張する。

しかしながら、原告らが本件災害によりその主張のような借財を負つたとしても、仮に本件災害による財産的損害が金銭により補填されるならば、右金銭をもつて原告らの借財の返済にあてることが可能であり、それによつて原告らの右精神的苦痛も当然に慰藉されるものというべきである。

(2) 次に原告らは「回復不能の被害」および「消え去ることのない恐怖の悪夢」として、家財等の喪失と本件災害による不安・恐怖ということを挙げ、これらをも慰藉料の斟酌事由として主張する。

しかしながら、本件訴訟における原告らの財産的損害に関する主張が網羅的、かつ高額であることを考えるならば、右苦痛は財産的損害の補填によつて慰藉されるものというべきである。

(3) また原告らは「財産被害の補完性」として本件慰藉料請求について財産的損害に対する補完的な役割を期待しているが、前述のとおり、本件における原告らの財産的損害の請求が、家屋、家財、門、塀、庭、植木、雑損等を網羅する包括的なものであることを考えるならば、殊更これを慰藉料によつて補完すべき必要はない。

特に原告らは、建物等の財産的損害額を算定する際に減価償却をなすべき必要性があることも慰藉料請求権を基礎づけるべき事由として挙げているが、本件損害賠償請求が財産的損害の補填を目的とするものである以上、財産の価格が経年的に減少するものについては損害の補填を越えた被害者の利得を避けるため減価償却をなすべきことは当然であり、右減価償却分に対し慰藉料をもつて補完すべき必要性は全くないというべきである。

(4) さらに原告らは被告の「応訴態度の不当性」をいうが、本件災害の事前の予測が不可能であつたと考えられる以上、被告が応訴することは当然であつて、原告らの右主張は理解することができないものである。

以上のとおりであつて、原告らの慰藉料請求は全く理由がないというべきであるが、仮にその請求が認められるとしても、原告らの主張する請求額は不当に高額であり、また少なくとも、本件災害により流失した家屋に居住せず単に右建物を賃貸していたに過ぎなかつた原告らおよび家屋流失の被害を蒙ることのなかつた原告らについては右請求は否定されるべきである。

(四) 同(六)のうち、各原告の蒙つた損害の具体的内容およびその損害額については不知。訴外柏木歌子・同木村京子および鈴木妙子がいずれも昭和五三年五月一九日その主張する債権譲渡の通知をなしたこと、原告加藤ハルが昭和五一年七月二二日訴外亡加藤信の死亡によりその財産権を全て相続したことは認める。

各原告の主張する損害についての反論は次のとおりである。

(1) 原告伊藤芳男について<略>

(2) 原告尾崎信夫について<略>

(3) 原告柏木克己について<略>

(4) 原告宅間三千夫について<略>

(5) 原告那須義高について<略>

(6) 原告横山十四男について<略>

(7) 原告渡辺規男について<略>

(8) 原告小川元嗣について<略>

(9) 原告加藤力について<略>

(10) 原告黒田豊について<略>

(11) 原告佐渡島平四郎について<略>

(12) 原告竹内久夫について<略>

(13) 原告中納博臣について<略>

(14) 原告水野善之について<略>

(15) 原告柿沼和子について<略>

(16) 原告加藤ハルおよび同百々洋子について<略>

7  請求原因7は争う。

三  被告の主張

1  本件災害の予測不可能性

(一) 営造物責任と予測可能性

国賠法二条一項にいう公の営造物の設置または管理の瑕疵とは、当該営造物が通常備えるべき安全性を欠いていることをいうものとされているが、右法文の上からも明らかなように、「公の営造物の設置または管理の瑕疵」と規定され、「公の営造物の瑕疵」とは規定されていない以上、営造物の瑕疵(安全性の欠如)が設置または管理上の瑕疵によるべきことを否定することはできない。

近時、国賠法二条一項の管理瑕疵概念の解釈について提唱されているいわゆる義務違反説によれば、国賠法二条の営造物の設置または管理の瑕疵の本質は、設置、管理者の損害(事故)防止措置の懈怠・放置に基づく損害回避義務違反(=不作為義務違反)であり、同時に、右の義務違反は、営造物の設置・管理者が災害発生の危険性を予測できたにもかかわらず、社会現象としての災害の発生を未然に防止するための適切な措置をとらなかつた点に求められるとするのであるが、同説において指摘されているように営造物が通常備えるべき安全性を考えるにあたつては、災害発生の予測可能性の有無が中心的な判断基準を形成することになるのである。

(二) 公物管理における河川の特殊性

被告は、一級河川たる多摩川につき、洪水等による災害の発生を防止するため万全の措置を講じ、国民の生命、身体、財産を保護すべきいわば政治的責務を負つている。しかし、このことから直ちに、一級河川たる多摩川につき、法律上も絶対的安全確保義務を負つているということはできない。

河川は、元来、降雨という自然現象により生じた多量の雨水が高いところから低いところに流下していくいわば自然そのものであり、この意味において河川は自然公物といわれ、道路等の人工公物とは性格を異にしている。即ち、道路等は、その成立過程において自然の作用は寄与していないし、そこを利用する人間、自動車等の行動ないし作用について予測が可能であるとともに、設置後危険な状況に至つたときは災害防止のためにその使用を禁止または制限する等の措置を講ずることが可能であるが、河川は、その成立過程のほとんどの段階、ほとんどの部分において自然の作用が寄与しているものであり、また、そこを流下する水の作用については科学的に必ずしも十分に解明し得ないものが多く存在するために予測が極めて困難であるとともに、その作用の防禦ないし回避が著しく困難または不可能であるから、両者には本質的な差異があるものといえる。このように河川は予測が極めて困難でかつ容易には制御し難い降雨による流水という自然現象を対象とするものであつて、本来危険を有する状態のまま管理を開始せざるを得ないものである。

河川の堤防等の河川管理施設は、以上のような河川の有する自然の脅威とそれから生ずる損害をできるだけ最少限に食い止めるために設けられるものであつて、自然たる河川の作用のうち人間が予想し得る範囲内の作用を可能な方法により制御しようとするものである。河川の管理責任の範囲を定めるについては、このような河川の特殊性が十分に勘案されるべきであり、右観点からすれば右管理責任の範囲には一定の限界があるというべきである。

従つて、堤防・護岸等の河川管理施設は、河川管理者が設計、工事または管理の対象として通常想定する洪水の作用に対しては安全であるべきであるが、河川管理者の想定と異なる作用により破壊され災害を防止し得なかつた場合においては、いわば人智が自然の所作を知り得なかつたため生じた災害というべきであつて、これをもつて直ちに河川管理上瑕疵があるとすることは相当でない。

ところで河川管理者が堤防等の河川管理施設の設計、工事または管理の対象として通常想定する洪水の作用とは、計画高水流量・計画高水位・流速・流向等であり、また固定堰の設置により生ずる作用として河川管理者が通常想定するものは、右の外特に堰上流側の水位の上昇、堰下流側の流速の増加等である。宿河原堰付近におけるこのような洪水の作用に対処するため河川管理者は前述のとおり、堰の設置者をして堰上流部の水位上昇に対しては三面に被覆工を施した小堤および護岸の設置を、また堰下流部の流速の増加に対しては取付護岸および水たたきの設置という対応策を講じさせていた外、従来から存した高水敷および堤防を適切に管理していたものである。従つて、宿河原堰左岸付近の多摩川の河川管理施設は、洪水の通常想定される範囲の作用に対して、通常備えるべき安全性を具備していたものであるから、河川管理上瑕疵があつたとはいえないのである。

(三) 本件災害の特異性とその予測不可能性

本件災害の特色は、堰左岸下流取付部護岸の損壊を切つ掛けとして上流取付部護岸および小堤が破壊されることによつて生じた堤防方向に直角に向かう迂回流とその長時間(約三日間)にわたる継続である。ところで、護岸の損壊を契機として、このような異常な水力を伴う迂回流が発生し、さらには堤防地盤の浸食に至るという経過をたどつた災害は、かつて我が国で経験されたことがなく、河川関係者の多くは、本件災害に直面した際、小堤を越流した流水が本堤を直撃して破堤したものと考え、多摩川災害調査技術委員会(同委員会は、建設省関東地方建設局長の依頼により、災害の原因について、および災害に関する技術的対策についての二項目に関し、本件災害の技術的な調査検討を行なうため設けられたものであり、土木および河川工学につき学識・経験を有する専門家により構成されたものである。)も当初そのような想定の下で調査に臨んだのである。従来の被災例による知見から判断すれば、、堰下流部の流速の増加および下流部取付護岸の破壊に係る洪水の作用については想定できるものの、下流部の取付護岸の破壊が上流に進行してゆく洪水の作用等については想定し得ず、従つて本件災害における迂回流の発生は堰上流側からの破堤を契機として堰下流側に及んだものとしか考えることができなかつたのである。そして、仮に堰上流側からの作用で迂回流が生じても、水位の低下とともにその作用は減少するはずであり、本件のように、迂回流による側方浸食(横浸食)が水位の低下後もなお長時間にわたつて継続することは予測できないことであつた。本件災害の極めて特異な発生経過は、同委員会の長期間にわたる検討の結果、初めて判明したものなのである。

本件災害は、正にこのような、河川管理者の想定する範囲を越えたメカニズムまたは流水の作用によつて生じた異常な災害であり、本件災害のような経過をたどる災害の発生を事前に予測することが不可能であつた以上、本件災害前において、同災害の発生機構に対応した河川設備の強固さを要求することもまた到底できないものといわなければならない。原告らが、本件災害の発生について被告の法的責任を問うのは、河川管理者にいわば河川の絶対的な意味での安全性を要求するに等しく、その失当であることは明らかである。

ところで、原告らは、昭和二二年の上河原堰の被災例および昭和三三年・昭和四〇年の宿河原堰地点の被災例に照らせば、本件災害について事前にその発生を予測することが十分可能であつたと主張するので、この点につき以下反論を加える。

上河原堰において昭和二二年九月の災害に際し迂回流が発生し、その発生のメカニズムを本件災害発生以前に究明することは不可能であつたが、経験的にみて堰上流部の水位上昇に係る作用により堰上流取付部護岸が破壊されて破堤し、これが端緒となつて右迂回流が発生したものと考えられる。しかして、上河原堰と宿河原堰とを比較した場合、次のように大きな差異がある。まず、河川の状況の相違点としては、宿河原堰の左岸は、上河原堰の左岸と異なり水衝部ではないため、流水の堰上流取付部護岸に対する作用は小さい。次に、構造的な相違点としては、宿河原堰左岸には、上河原堰左岸にない広幅員の高水敷があるため、本堤に対する流水の作用は格段に小さい。さらに、宿河原堰には小堤が設置されていたため、本堤に作用する流水の量は一層制限され、上河原堰に比べて極めて少量であつた。なお、この小堤には三面に被覆工が施され、小堤の越流水の作用では破壊しないように措置されており、また高水敷に約一・二メートルの根入れがなされ、小堤の越流水の洗掘作用によつても破壊しないようにされていたため、上流側からの流水の作用で破壊する可能性はほとんどなかつた。右に述べたように、宿河原堰左岸の流水の作用は上河原堰左岸のそれより小さいため、仮に小堤が破壊されたとしても、それによつて生ずる迂回流路の拡大は上河原堰において生じたそれ(約五〇メートル)には至らず、幅約四五メートルの高水敷の範囲内に止まり、堤内災害が発生する可能性は通常想定しえなかつたのである。現に本件災害は、堰上流側からの流水の作用によつて生じたものではなく、原告ら主張のように上河原堰の被災例との比較において、本件災害を予測することは到底できないというべきである。

次に宿河原堰左岸下流取付部護岸については、昭和三三年および昭和四〇年にその一部が破壊したことがある。即ち、昭和三三年の出水は、毎秒三〇〇〇立方メートルを越え、小堤を越流した流水は高水敷を流下したが、このときの下流護岸の破壊は約一〇平方メートル程度であり、その翌年の昭和三四年には昭和三三年をしのぐ出水があつたが、何らの被害も生じていない。もつとも、昭和四〇年には毎秒一四〇〇立方メートルの出水において、堰左岸取付部に小規模な破壊が生じたが、この破壊も小堤下流端付近はなお流失を免れている程度のものであつた。そして、その後昭和四一年、四六年および四七年には、昭和四〇年の出水をかなり上回る出水が生じたにもかかわらず、何らの被害も生じなかつたのである。前記のとおり、本件災害の生じた左岸堤防側には、堰上流約三〇〇メートルの地点から始まり堰地点で幅約四五メートルもの高水敷が存在しているのであつて、通常本堤の前面にこのような広さの高水敷があれば、本堤が直接に破壊する事態を考えることはできないし、しかも堰左岸側は安定した水裏で、そこに生ずる水流は比較的弱いものであるから、仮に堰の取付部で何らかの破壊が生じた場合でもその作用は高水敷の範囲内に止まるとしか考えられないのである。従つて原告らの主張する宿河原堰における二つの被災例から本件のような堤内災害の発生を予想しなかつたとしても当然というべきである。

(四) 河川工学による本件災害の予測不可能性

河川について災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、流水の正常な機能が維持されるようこれを総合的に管理することが河川法に基づく河川管理行政の課題であるが、このような河川管理に当たつて最も密接な関連を有する学問が河川工学である。ところで、およそ工学は実用に供することを究極の目的としている学問分野であるが、その中でも特に河川工学は、経験工学ともいわれるように経験に依存する度合が極めて強く、河川の管理に当たつて河川管理者は、このような性格の河川工学を補助手段として最終的には経験的、総合的な判断により対処していくしか方法はないのである。前述したように、本件災害のような経験をたどつた河川災害は、かつて我が国で経験されたことはなく、経験に依存することの大きい河川工学ないし河川の管理においては、このような未経験の事象に対する予測は極めて困難といえるのである。河川工学における問題解決の一手段として模型実験が利用されることがあるが、仮に堰下流部の取付護岸の破壊が堤内災害にまで及ぶかどうかというような極めて多くの要因のからみ合う現象について模型実験を行なおうとしても、堰およびその周辺の施設・土質等と正確な力学的相似関係を有する模型を作成すること自体が、そもそも不可能なのである。さらに、本件災害のように複雑な要因のからみ合つた災害について、災害後の調査によつて得られた多くの知見も有しない状況の下で、現象に対する何らの予測もなく模型実験を行なつたとしても、本件災害の発生を予測することができなかつたことは、明らかというべきである。

2  国の治水事業

(一) 我が国の気候的、地理的条件

我が国はモンスーン温帯地域に属し、低気圧や前線の発生、通過が多く、それに伴う多量の降雨がしばしば記録され、特に夏から秋にかけては南方洋上に発生した台風が北上して毎年のように我が国を通過し、その際には年間雨量の約二分の一の降雨が数日という短期間に集中することも少なからずある。

しかも、日本列島は最高幅員でわずか三〇〇キロメートルであるにもかかわらず、海抜二〇〇〇メートルから三〇〇〇メートルの脊梁山脈が走つているため、河川は流路が短く勾配は急となり、また極めて多数の河川を有することになるのである。

加えて、我が国は低地が極めて少なく、河川下流部の洪積平野や沖積平野は本来氾濫し易い条件を有しているにもかかわらず、そこに都市や産業が集中的に立地しているため、治水対策を一層困難にしている。

(二) 治水事業の沿革と現状

明治以降我が国の河川事業にも近代的な河川技術が導入され、主要な河川は国の事業として改修されるようになつた。

明治の中頃に至り、明治維新以来の急激な経済発展による被災対象物の著しい増大と河川付近の土地利用の高度化もあつて水害の激化がみられ、治水対策およびそのための法制の整備が強く要請され、かくして明治二九年、その後約七〇年間河川法制の中核となつた旧河川法が制定された。

旧河川法の制定以来、大河川の改修工事が逐次進捗していき、中小河川の改修工事についても昭和七年から国が地方庁に補助金を支出する途が開かれたりしたが、その後戦争等により治水工事は縮小の一途をたどり、河川は荒廃し、第二次世界大戦の終結を迎えたのである。

このような河川の荒廃によりその整備状況は明治中期の水準に低下していたが、河川流域の森林の荒廃もあり、昭和二〇年からの数年間には大型台風の襲来によりしばしば大水害が発生した。

このような中で経済復興計画の一環として河川改修が計画され、明治中期の水準となつていた河川について、戦前に着手され中断していた河川改修工事も逐次再開されるとともに、昭和二六年には現行の公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法が制定されるなど治山治水対策が国の重要課題とされた。

その後昭和二八年治山治水対策要綱の決定等を経て、昭和三五年治山治水緊急措置法および治水特別会計法が制定され、同年一二月に戦後初めて財政的裏付けを得た治水事業一〇箇年計画が策定され、国の治水投資を計画的に行なうこととなつた。

さらに、昭和三九年には現行河川法が制定されて河川管理体制の確立が図られ、これに対応して昭和四〇年に前記一〇箇年計画を廃止し新たに治水事業五箇年計画が策定されて治水事業はさらに推進されることとなつた。その後、治水事業五箇年計画は数次の改定を経て今日に至つている。

このようにして明治八年から昭和四九年までの我が国における治水投資累積額(災害復旧費を含む)は約一八兆円(昭和五〇年換算)にも達し、特に、昭和三五年以降は四次にわたる治水事業五箇年計画(第一次は昭和三五年の一〇箇年計画の前期五箇年計画)の策定により、国の治水投資額は一般会計予算の三・五パーセント(年平均)、公共事業費予算の一九・一パーセント(年平均、災害復旧費を含む)の規模を占めるに至つている。

しかし、我が国の自然的条件から必要とされる治水投資額のぼう大さ、人口、産業の都市集中と土地利用の高度化による河川周辺への資産等の集中に伴う治水投資の必要額の増加などにより、河川の整備率は後述するように必ずしも高いものではなく、水害の発生は依然として防止し得ない状況にある。因みに昭和四九年の全国の水害による被災状況は、総額五四七五億円(昭和五〇年換算)で被災家屋四七万五五九七棟に及ぶのである。

(三) 我が国の河川の整備状況

いうまでもなく河川の整備は、自然公物としての河川の特殊性からして技術的、財政的および時間的に多くの制約を伴い、さらには我が国における河川周辺の土地利用の高度化という要因も加わつて極めて困難な事業とならざるを得ない。

こうした制約と困難性の下に、最も効率的に治水施設の整備を進めるためには、年々の国家財政力に見合つた工事量を、整備が急がれる箇所から、段階的に施工していくことを、基本的な理念としなければならない。国は、このような理念を前提として適正な予算を投資し広範な河川行政を展開しているのである。

しかしながら、河川の整備に伴う種々の制約や我が国の現代における人口の都市集中等の社会的制約から、現在におけるその整備状況は決して満足すべきものではない。

我が国の河川延長即ち河川法に基づく河川の延長は、昭和五一年調査によれば一三万三四八七キロメートル(そのうち、一級河川は一〇九水系、一万二九七一河川で八万四九九八キロメートル、二級河川は二五七七水系、六四三三河川で三万四二六〇キロメートル、準用河川は九二八九河川で一万四二二九キロメートル)というぼう大なものである。前述したように、河川整備については昭和三五年以来四次にわたる五箇年計画が策定、実施されてきたが、全国の河川をすべて、それぞれの改修計画に定められている達成目標に対応して整備するのに必要とする治水投資は極めて莫大なものであり、その額は約一〇〇兆円と試算されている。そこで昭和五二年六月閣議決定された第五次五箇年計画によれば、当面の目標を流域面積二〇〇平方キロメートル以上の大河川については戦後三〇年間に発生した最大洪水に耐え得るように整備することに置き、また早急に改修を必要としている中小河川については時間雨量五〇ミリメートルの降雨(五年ないし一〇年に一回発生)を対象とした改修を行なうこととしている。

しかし、右に述べた当面の整備目標に対する昭和五一年度末の整備率は、大河川にあつては、整備を必要とする河川の延長一万二七〇〇キロメートルに対して整備済みの延長は六六二〇キロメートルでその整備率は約五二パーセントでしかなく、中小河川にあつては、整備を必要とする河川の延長七万三五〇〇キロメートルに対して整備済みの延長は一万〇〇九〇キロメートルでその整備率は約一四パーセントである。

第五次五箇年計画は、このような状況の下に総額七兆六三〇〇億円の巨費を投入し、前記の当面の目標に対し昭和五六年度末の整備率を大河川については約六二パーセント、中小河川については約二〇パーセントにまで向上させるべく計画されている。しかし、右当面の目標を一〇〇パーセント達成するだけでも約三〇兆円(現在の予算規模からすると数十年)を要するのであり、毎年の治水事業に投じ得る予算は、他に多数の行政需要が国民の間に存するところからおのずと限度があり、我が国の経済力からみて到底一朝一夕には達し得ないところである。また、仮に将来右目標が達成されたとしても、これはあくまでも一応の目標達成に過ぎず、その目標とする基準を超える降雨は勿論、その他の予想を超えた災害に対しては対応できないのであつて、治水対策として絶対的な意味での河川の安全性を語ることは到底できないのである。

(四) 多摩川の整備状況

多摩川における本格的な河川の整備は、大正七年に内務省直轄事業として着手された多摩川改修工事に始まる。この工事は、明治四三年の洪水を参考として、支川浅川合流点から下流の計画高水流量を毎秒一五万個(毎秒四一七〇立方メートル)と定め、河口から二子橋(河口から一八キロメートル地点)までの区間の改修を行なつたものであり、昭和八年に竣工している。右工事は、河幅の標準を上流で三八〇メートル、河口において五四五メートルとし、築堤、掘削、浚せつおよび水衝部の護岸等を施工し、さらに舟運の便を図るため六郷水門、河口水門等を設置した。

さらに昭和七年から直轄事業として、日野橋地先(河口から四〇キロメートル地点)から二子橋までの区間および支川浅川の高幡地先(多摩川合流点から二・四キロメートル地点)から下流多摩川合流点までの区間について多摩川上流改修工事が着手された。この工事は、日野橋地点における計画高水流量を毎秒一二万個(毎秒三三三〇立方メートル)と定め、河幅を三五〇メートルから四五〇メートルとし、主として旧堤の拡築を施し、なお、河幅の広大な区間につき河道を固定するための築堤および無堤地の築堤を行なうとともに、水衝部の護岸、水制工の設置等を実施した。

また、昭和三九年の現行河川法の制定に伴い、多摩川は昭和四一年一級水系に指定され、従来からの多摩川改修事業区間に加え、日野橋から万年橋(河口から六一・八キロメートル地点)までの区間も含めて建設省直轄管理区間とされた。同時に多摩川水系工事実施基本計画が策定されたが、同計画は、計画高水流量については、従来どおり、日野橋地点から下流浅川合流点までの区間を毎秒三三三〇立方メートル、浅川合流点から下流を毎秒四一七〇立方メートルと定め、河口から六郷橋までの区間を高潮区域とした。そして、六郷橋から上流部の区間につき築堤および水衝部の護岸の施工を、高潮区域につき高潮堤防の築造を計画し、逐次工事を実施してきた。

さらに昭和四四年に浅川の高幡橋地先から上流南浅川合流点までの区間(本川合流点から一二・六キロメートルまでの区間)が、昭和四七年に大栗川の本川合流点から一・一キロメートルまでの区間が、それぞれ建設大臣の直轄管理区間に指定され、築堤、掘削、水衝部の護岸等の工事が逐次施工された。

かくして、かつては多摩川の氾濫原であり、近年まで水田もしくは未利用地であつたその沿川の低地は、本格的な築堤により洪水被害の危険から次第に遠ざかり、近年の都市化の波を受けて高密度利用地へと変化してきた。明治期には市街地がほとんどみられなかつた多摩川沿川の中下流域は、現在では高度に都市化が進んだ地域となつている。大正七年以来六〇年にわたる多摩川の河川整備は、人々の生活領域の拡大と土地利用の安定化をもたらしたのである。即ち、明治後期約六・八パーセントであつた市街地は下流改修の盛んであつた大正・昭和初期には整備の進捗に伴い下流部を中心に約一〇パーセントに拡大し、戦後、中上流部にまで整備が及んだ昭和三〇年頃には約一六パーセントとなり、現在ではその流域の市街地は約三〇〇平方キロメートル(昭和四五年)、流域全体の約二五パーセントを占めるに至つている。

ところで、第五次五箇年計画では、主要な大河川について昭和五一年度末におけるその整備率五二パーセントを昭和五六年度末までに約六二パーセントに引き上げる目標を掲げているが、これに対して、昭和五一年度末における多摩川の整備率は既に約九二パーセントに達しており、五箇年計画完了後の昭和五六年度末には約九六パーセントまでの整備を目途として計画がなされている。

このように多摩川は行政目標としての河川の安全度を相当の高水準で確保している全国有数の河川であり、このことは多摩川のもつ社会経済的な重要性が認識され現在に至るまで精力的な改修がなされてきたことを物語つている。勿論、河川本来が持つ自然作用の複雑性はいわば無限であり、高水準の整備がなされた河川といえども未だに多くの未知の危険を内包しているのであるから、多摩川についてもまた絶体的な意味での河川の安全性を語ることはできない。

しかしながら、全国的な視野に立てば、多摩川よりも整備率の劣つた大河川がほとんどであり、さらには、多量降雨時における具体的な水害の発生の危険を予想されながら、未だにその整備に着手し得ない河川すら存在する。従つて現段階においては、それらの河川について行政目標としての整備率を向上させることが最も重要な課題であり、右向上をはかることなく、多摩川について現在以上の高度の安全性を確保するために、水害発生の蓋然性が殆どないと思われる箇所にまで着目してその改修に着手するような段階には到底ないということができるのである。

(五) 河川の整備と水防活動

既に述べたように、整備率の低い多くの河川については勿論のことであるが、整備率の高い多摩川においても、水害防止の観点からいえば、その整備は決して満足すべきものではない。このような状況の下における水害対策として、出水時の水防活動は大きな意味を有するものであり、水防活動は治水事業とともに、水害防止のための重要な対策である。水防法はこのような目的をもつて制定されている。

水防法七条、二五条は、都道府県知事、水防管理者は、あらかじめ水防計画を定めなければならない旨規定し、右計画には通例重要水防箇所が指定される。東京都の定めた右水防計画に基づき、東京都北多摩南部建設事務所が定めた昭和四九年度の水防計画によれば、本件災害箇所を管轄する右事務所管内において、水防上注意を要する箇所として挙げられているのは調布市小島町地先のみである。このことは水防管理者もまた本件災害箇所を危険箇所であるとは認識していなかつた証左にほかならない。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  被告の主張1について

(一) 同(一)について

国賠法二条一項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国および公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としないとされていることは、学説、判例の一致するところである。そして、いうまでもなく災害等の発生について予測可能性があつたか否かは、過失の存否の問題であつて、営造物責任の範囲を画するためには何ら考慮する必要はない。

もつとも、これまでの営造物責任に関する裁判例においては、営造物管理者の予測をはるかに超えた大規模な災害の場合や、第三者の行為が介入して事故が発生した場合などで、当該管理者にほぼ絶対的に損害の回避可能性が存在しなかつた場合には、管理の瑕疵を認めていない。これらの裁判例の趣旨は、営造物管理者に損害回避の手段がない場合にまで、その責任を追求することはできないとする趣旨であるから、通常行なわれる程度の安全対策を講ずれば災害を未然に防ぐことができるような場合には、結果的に起きた災害の細かいメカニズムを予め予測し得たか否かを問題にすることは誤りというべきである。

(二) 同(二)について

被告は、河川管理者の責任を政治的責務としてその根拠を河川の自然公物性に求め、人工公物たる道路等の管理責任との比較において、河川の管理責任を限定的に解しようとするもののようであるが、これは以下の点において不当である。

営造責任を論ずるについて、まずもつて管理者の管理義務の範囲を論ずるというのは問題があるが、これはさておき、自然公物とされている河川の管理責任について、これを政治的責務とし、道路等人工公物の管理者に課されている法律上の安全確保義務と異質のものとすることは、河川法や道路法等の諸規定の解釈上著しく整合性を欠くこととなつて正当でない。即ち、河川法一条、二条、一三条、一六条等は河川管理者の責務やとるべき管理措置について定めているが、これらは道路法上に定める管理措置の諸規定と対応するものであつて、両者は等しく管理者に管理義務、換言すれば、道路や河川の危険に対する損害防止措置を義務づけているのである。

次に、被告は、河川の管理責任が他の公物のそれと異なる理由として河川が自然公物であることを挙げるが、この点について被告は、自然公物といわれる講学上の概念について誤つた理解をしているうえ、公物としての実体の成立過程による区分である自然公物と人工公物との差異を営造物の管理責任を画するものとして論議しており、かつ自然公物とされている河川と人工公物とされている道路等に公物としての性質上決定的な差異があるものとして管理責任を論じていることに重大な誤りがある。いうまでもなく自然公物とは、天然の状態において既に公の用に供される実体を備えた公物をいうのであり、自然公物か人工公物かは、公物としての成立過程の差異に着目した区分であつて、管理の対象が自然現象である場合にこれを自然公物とするのではない。従つて、右のような差異に着目した区分から、両者についての管理責任の質的な差異が導き出されるものでないことは当然である。また、河川であつても新たに人工的に開削した放水路は人工公物であり、堤防等の河川管理施設やダム、堰の設置等人為が大きく加えられている河川は実質的には人工公物化しているとさえいいうる。そして、今日我が国では、原始河川等は既に存在していないといつてよい状態であつて、この意味では、河川を単純に自然公物ということは正確性を欠くのである。他方、道路においても、自動車専用高速道は格別、数百年の昔から踏み固められた道を整備、舗装したものに過ぎないといえるのであるから、公物としての成立過程という点でも、道路と河川との間に絶対的な差異は存しないのである。

以上のとおりであるので、河川が自然公物であるが故に河川管理者は人工公物とは質的に異なつた管理責任を負うべきであるとする被告の主張は何らの正当性を持たない。河川が本来危険を内在しているものであることは、被告の指摘をまつまでもないことであるが、これは道路についても同様にいえることであつて、このように危険を内在している道路や河川は、それ故にこそ一層災害防止に努めるべきなのである。

なお、自然公物たる河川の管理責任について、仮に何らかの程度において限定的に解すべきであるとしても、本件災害は、河道に設置された堰とこれに対応した十分な護岸がなされなかつたために発生したものであり、いわば自然に対する不自然な人為の加工があつたため発生した災害なのであるから、被害のいう自然公物論も全く適用される場がないはずである。

(三) 同(三)について

(1) 被告は、本件災害の発生経過が極めて特異であつた旨主張するが、本件災害における堰左岸下流部の取付護岸の崩壊から迂回流による堤内地盤の洗掘という一連の河川管理施設等の破壊は、堰の構造および取付方法等の欠陥を除けば、洪水時に発生する流水の極めて自然な作用によつてもたらされたものである。即ち、

まず、堰下流の取付護岸の破壊はもとより、同所の崩壊が上下流方向、さらには本堤方向へ拡大していつたが、これは極めて当然な成り行きであつた。特に、宿河原堰の左岸取付部の構造上、大きな洪水時には、元来強固でない植石コンクリート護岸があたかも河底同様になつて複雑な高速水流により激しく叩かれ、かつ洗われるのであるから、堰越流水による直接的な破壊は下流側よりむしろ上流側へ及ぶのであつて、本件の如き上流側への崩壊の進行は全く当然な現象なのである。このことは前述した昭和四〇年の左岸取付部の護岸および小堤の被災例をみても明らかであつて、宿河原堰においては、洪水時に堰下流取付護岸が崩壊した場合に、それが上流側に拡大することはむしろ法則性を持つているとさえいえるのである。

堰下流部の崩壊が上流側や本堤側に拡大していく段階で、小堤を越流した河水と高水敷上流端から流入してくる河水とが高水敷上を流下し、これが堰嵌入部周辺の小堤および高水敷の破壊を促進した。下流側からの欠け込みだけでは、また上流側からの河水の流下だけでも本件のような高水敷の崩壊はなかつたと思われるが、宿河原堰では、計画高水流量の洪水が流下する際、高水敷の水深は一メートル以上となるのであつて、かかる場合に、下流側からの欠け込みという条件が重なれば、本件災害の経過のように、かなりの速度で堰上下流の取付部が浸食されたり洗掘されたりすることもこれまた極めて自然な成り行きであつたのである。

ついで迂回流の発生であるが、堰下流側の取付護岸が崩壊し、これが堰嵌入部周辺に及んでさらに上流側取付部の護岸が崩壊すれば、堰によつて流下を妨げられている本川流水が側方へ流れ、迂回流を形成することも理の当然である。もつとも、天井川である場合や、河床高が堤内地盤高とさほど違わないような河川にあつては、下流取付部または上流取付部の崩壊の段階で、本川流水は一挙に堤内地へ流入することになつて迂回流の発生という事態はなく、河川は氾濫する。

堰取付部が崩壊した場合にも堰周辺の河川の形状によつて、発生する結果は当然に異なるのであり、本件の場合には、河床が堤内地盤より低く、コンクリート堰堤が高水敷の敷幅の半ばまで中途半端に延びているという状況であつたため、今回のような迂回流の発生となつたのである。それ故、本件と全く同一のケースは非常に稀有であるとしても、それは宿河原堰のような取付方法そのものが、前述したように、他にほとんど例を見ないものであつたからに外ならない。しかし、本件の迂回流発生に至るまでの経過は、いずれも流水の破壊力によつてもたらされた自然の出来事の連鎖なのであつて、そこには通常人の理解を超えるような現象は存在していないのである。

迂回流の発生は、いわば本件災害の最終段階といつてよいものであるが、多摩川のような大河川でコンクリート堰の周辺に一度迂回流が発生すれば、その破壊力の大なることも想像に難くないものである。高くかつ可動部の少ない堰では、当然に堰によつて流下を妨げられる本川流量はそれだけ大になるのであつて、本川化した迂回流が本堤地盤をほぼ直撃するのであるから、その浸食力は極めて大きなものとなることも当然である。堰がもつと低いか、または左岸側の一部にも可動堰が設置されていたとすれば、迂回流量は相対的に小となり、その破壊力も当然に小となる(迂回流を阻止する一手段として堰の爆破を行なつたのもこのためである)。そして、計画流量程度の洪水では、洪水継続時間もある程度長くなることは自明のことであり(一般に最大流量が大であれば継続時間も大となるが、本件堰設置後では本件洪水が最大規模であつたから、これまでの洪水と比較すれば継続時間が最も長くなることは当然である)、このことは迂回流の浸食力が時間的にも相当程度維持されることを示すものである。

(2) 次に、被告は本件災害のような経過をたどる災害の発生を事前に予測することは不可能であつた旨主張するが、以下に述べるとおり、右主張はそれ自体失当というべきものである。即ち、

宿河原堰周辺は、前述したように、堰堤の高さ・構造、取付護岸の構造・材質、小堤方式を含む堰の取付方法等に諸々の欠陥があつて、これらの結果、下流取付護岸や高水敷の一部の崩壊が始まると右欠陥が必然的に競合して堤内地災害につながる大規模な崩壊が起こる危険性を常にはらんでいたのであり、迂回流の発生という本件災害の形態は起こるべくして起こつたものではあるが、他の形態の災害も十分に発生しうる余地があつたものなのである。従つて、結果として発生した本件災害が偶々稀有な現象であつたからといつて、これを奇貨として右災害についての予測可能性がなかつたことを主張するのは、主張自体失当というべきである。

災害の発生を回避するために、災害発生の予測を必要とすることは一般論として妥当であるが、もしこれを本件についていうとすれば、宿河原堰が過去に何回か計画高水流量規模の洪水を流下させてきたが、偶々今回は特異な事情が発生して予測を超えた洪水の破壊力が示された場合など、そのための特殊な安全対策が必要とされる場合だけにいい得ることである。宿河原堰周辺は、同堰設置後始めて計画高水流量規模の洪水に遭遇し、本件災害の発生をみるに至つたのであり、しかも右災害は、前述したように、河道を流下してきた流水の自然な破壊力によつてもたらされたものである。そして、堰周辺の災害の防止は、取付護岸の鉄筋コンクリート化あるいは上流取付部、特に高水敷の強化(保護工実施あるいは嵩上げ)等大河川において通常みられる若干の対策を一つでも行なつていればおそらく可能だつたのであり、他の堰にないような特別の対策が必要とされたのではない。従つて、本件において、結果的に発生した現象の稀有さのみを強調し、この予測可能性ひいては回避可能性がなかつたことを主張することは許さるべきでない。

一般的な意味で、本件災害の回避手段を講ずる上での予測可能性をいうのであれば、それは堰およびその周辺が、通常の河道とは比較にならない程の危険性を持つているとの認識で十分である。河道に堰を設けることの危険性については、前述したように、古来より十分指摘されてきたのであり、従つて、堰、とりわけ平地部の大河川における堰の危険性については一般的には十分な認識が持たれていたのであるから、災害回避の対策を講ずるための危険に対する予測としてはこれで十分である。その上、前述のとおり、計画高水流量程度の洪水に対しては本件の災害防止を含め、宿河原堰周辺の安全は僅かの改良で確保し得たのであるから、この観点からしても、被告の前記主張は失当というべきものである。

(3) 右(2)で述べたように本件災害について予測可能性がない旨の被告の主張は、それ自体失当であるが、仮にその主張自体成立するものとしても、本件災害については、事前にその発生を予測することが十分可能であつたものであり、この点でも被告の右主張は理由がないというべきである。即ち、

前述のように、宿河原堰左岸下流部の災害は本件災害が始めてではなく、昭和三三年に取付護岸の一部が破壊されている外、昭和四〇年の洪水の際にも取付護岸の一部と小堤の一部が破壊されている。特に昭和四〇年に発生した災害は、取付護岸および小堤が堰天端のほとんど真横の部分まで決壊し、本件と同様の災害が発生する一歩手前の状態であつたのであり、このように取付護岸の上流への進行および小堤の破壊の危険性はこの時点で既に現実化していたのである。

また、迂回流により地盤が浸食されてゆく形態の災害は本件災害が始めてではなく、昭和二二年九月に上河原堰でも起きており、この時にも、堰をめぐつて迂回流が生じ、それが堤防のみならず堤内地盤をも一部浸食しているのである。ところで右災害においては堰上流の堤防が決壊して迂回流が生じたものとされているが、その資料としては航空写真一枚と災害復旧原図しかないのであつて、堰を落下する水流によつて堰下流の堤防が決壊して迂回流が生じたとも考えられるのである。しかして堰の上流からにせよ下流からにせよ、堤防が決壊して迂回流が生じた場合、それによつて地盤が浸食されて被害が拡大してゆく過程は、本件災害と同じである。

従つて、計画高水流量規模の洪水が到来したときの、宿河原堰周辺の水位、河水の流下状況、取付護岸や高水敷の諸状況を正確に認識したうえで、同堰における従来の被災例、特に昭和四〇年に発生した災害と上河原堰における前記災害とを併せて検討すれば、本件災害のような形態の災害の発生を事前に予測することは十分に可能であつたというべきである。

なお、被告は、上河原堰および宿河原堰における前記被災例に関連して、宿河原堰付近の左岸側は水裏で、かつ高水敷が存在しているため、仮に堰の取付部で何らかの破壊が生じた場合でもその作用は高水敷の範囲内に止まり、堤内災害が発生する可能性は通常想定し得なかつた旨主張するので、以下これについて反論を加える。

本件災害前、宿河原堰左岸に高水敷が存在しており、低水時の流心が右岸側にあつたことは被告指摘のとおりである。しかし、洪水時の流心がしばしば低水時のそれと異なつた所に移動し、全く逆の側へ移ることがあることも経験上知られている。多摩川の洪水史上でも、同所左岸側に流心が移動し、左岸河床を深く掘下げた例があつたことが報告されており、従つて同所左岸側が常に安定した水裏であり水勢が弱いことを前堤とすることはできないというべきである。

仮に本件災害前の数十年間は安定した状態にあつたことから被告の主張を一応肯定するとしても、多摩川は計画高水流量が毎秒四〇〇〇立方メートルを越す大河川であり、宿河原堰では大洪水の場合には越流水深が三メートル以上(本件洪水では三・二メートル)となつて上下流の水位差がほぼ同程度に達するのである。かかる状況では、水裏であるとしても越流水の破壊力は通常の河道とは比較にならない程大きいものであることはいまさらいうまでもない。そして堰上流の側壁護岸が破損して横流れが生じたときの破壊力も同様であり、水流がほぼ直角に土砂に衝突するのであるから、むしろこの段階に至れば、いかなる災害に発展するかも知れない危険状態といわねばならない。堰上流で横流れが発生したり、迂回流が発生した場合、迂回流の破壊力を規定する最大の要因は流水量である。この流水量はもとより上流からの流量を超えることはないが、堰堤の高さや可動部の大小によつて左右されるものである。従つて、被告において迂回流の破壊力が被告の想定を上廻つたというのであれば、それは原告らが指摘した堰の構造に関する欠陥を全く看過したことの証左でもあるのである。そして迂回流がある程度大きくなるとことが本川化し、河道を流下するほとんどの流量が迂回路を通過することになり、ますます浸食、洗掘の力を大きくすることも自然の成り行きである。

以上のとおりで、被告の前記主張は、本件災害前の判断としても何らの根拠に基づかないものであるばかりでなく、誤りであることが明らかである。

2  被告の主張2の(四)について

被告は、多摩川については、全国的にみて既に高水準の整備が達成されているのであるから、現在以上の高度の安全性を確保するために、水害発生の蓋然性がほとんどないと思われる箇所にまで着目してその改修に着手するような段階にはない旨主張するが、前述したように、宿河原堰周辺は、堰堤の高さ・構造、取付護岸の構造・材質、小堤方式を含む堰の取付方法等に諸々の欠陥があつて、これらの結果、下流取付護岸や高水敷の一部の崩壊が始まると右欠陥が必然的に競合して堤内地災害につながる大規模な崩壊が起こる危険性を常にはらんでいたのであり、しかもこのような堰周辺の災害の防止は、取付護岸の鉄筋コンクリート化あるいは上流取付部、特に高水敷の強化等大河川において通常みられる若干の対策を一つでも行なつていればおそらく可能だつたのであるから、被告の右主張は失当というべきである。

第三証拠 <略>

理由

一  当事者

1  原告ら

原告加藤ハルを除く原告らおよび原告加藤ハルの亡夫訴外加藤信は昭和四九年九月一日当時、東京都狛江市猪方地先の多摩川左岸沿いの堤内地に居住し、または同所に土地・家屋等を所有していたものであるが、後述のとおり同日夜半より右猪方地先付近の多摩川左岸堤防が決壊し、その後さらに堤内地が浸食された結果被災したものであることは、当事者間に争いがない。

なお<証拠略>によれば、原告らの一部は、本件災害に際し、昭和四九年九月二日から同月四日にかけ延べ一〇回にわたつて実施された後記宿河原堰堤爆破作業その他の水防活動による被害(その具体的態様・程度は暫く措く)を受けたものであることが認められる。

2  被告

被告は、一級河川たる多摩川を河川法およびそれに基づく命令に従い管理するものであることは、当事者間に争いがない。

ところで、<証拠略>によれば、多摩川は、河川法の改正(昭和三九年七月一〇日法律第一六七号)に伴い昭和四一年四月に一級河川に指定され、本件災害当時までに本川の河口より万年橋(六一・八キロメートル)までの区間ならびに支川浅川および大栗川の下流区間について建設大臣の管理区間となつていたこと、それ以前の旧河川法の時代においては、河川の管理は東京都および神奈川県が行なつていたが、本川の改修事業については旧法八条の規定により内務省および建設省の直轄事業として被告が行なつてきたことが認められる。

二  本件災害の発生

1  多摩川および宿河原堰周辺の概況

請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがない。そして、前掲<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  狛江付近における河道の変遷

狛江市猪方地先は多摩川の河口から二二・四キロメートル付近に位置し、同川流域内の大部分の流出を集めて流下させ、その流れを南東からやや東方へ向きをかえる地点にあたる。狛江付近は、昭和七年以降の多摩川上流改修計画に基づいて本格的に内務省直轄で改修工事が着手される以前は、それまでに造られていた堤防、護岸、水制等によつて洪水に対処していた。右改修計画では支川浅川合流点から下流の計画高水流量を毎秒四一七〇立方メートルと定め(なお、狛江地点の計画高水流量が毎秒四一七〇立方メートルとされていたことは当事者間に争いがない)、この流量を安全に流下させることとしていたので、狛江付近では上下流の河道とバランスのとれた河道断面を確保し、上下流一貫した堤防によつて流れを規制し、水衝部には護岸、水制が施工されて河川後背地の土地利用の向上が図られた。この改修によつて、狛江付近では旧堤の拡築あるいは新堤の築造が行なわれ、宿河原堰左岸付近では昭和九年ないし一〇年頃上下流の旧堤法線になめらかに接続する新堤が連続堤として在来堤防より川側に築造され、新堤より堤内地側は洪水氾濫を免れる土地となつた。なお、この区域内の河川敷地については、昭和二六年に河川管理者であつた東京都知事により廃川敷地の処分がなされている。また、狛江付近では、明治一八年以来低水時における河川の流心は概ね右岸寄りにあり、一方、改修事業によつて左岸新堤の築造された付近は、従来から増水時に洪水の一部が溢れて流れる高水敷であつた。

(二)  宿河原堰設置の経緯

宿河原堰は、前記のように二ケ領用水の取水を目的とした堰である。この用水の歴史は古く、武蔵野原開拓のため一六世紀末に用水工事が着手され、上河原、宿河原の順に取水口が設けられ、宿河原取水口は、旧来より右岸のほぼ同一地点にあり、河床の変動に対応して常に取水を円滑にするため上流部の河心から斜めに取水口に向かつて蛇籠等による導水施設が設置されていたようである。ところが、大正の始め頃から東京市の人口増加と都市の発展に伴い、水道用水の使用量が著しく増加し上流の羽村堰での取水量が増加したため下流部の流量が著しく減少し、また、大正七年から昭和八年にかけて実施された多摩川改修工事および昭和七年に着手された多摩川上流改修工事において、所定の流下能力を確保するために掘削築堤工事等が行なわれた外、関東大震災以来、砂利・砂の需要が激増したため大規模な採取が行なわれ河床が低下した。この結果、河川の水位が低下し各種用水の取入れに支障を来たすこととなり、二ケ領用水においても取水に必要な堰上げ高が高くなつたため、前記のようにそれ以前から設けられていた蛇籠等の仮設的な構造物を維持することは困難となり、また、洪水のたび毎に堰は決壊流失の災害を受け、特にたまたま稲作の用水最盛期などにこうした災害を被つた年には地域内の稲作は著しい減収となつた。こうした状況の中にあつて、東京市は昭和七年に多摩川の上流に小河内ダムの建設計画をたて、その後この工事計画策定に際し、下流の水利権について神奈川県と東京府の間に、下流の灌漑用水のために五月二〇日から九月二〇日に至る灌漑期には東京市は羽村堰において最少毎秒二立方メートルの流水を常時放流することと併せて、この流水を有効に利用するため、上河原および宿河原の二堰堤をコンクリート製の堰に改築することが昭和一一年に合意され、この工事は神奈川県営事業として実施されることとなつた。右計画に基づいて、昭和一二年に神奈川県より河川管理者である神奈川県知事および東京府知事に対して、河川敷占用および工作物設置について許可申請がなされ、これに対し昭和一五年に至り条件を付されて両知事よりそれぞれ許可されている。なお、計画されたコンクリートの堰は、下流に東京市の水道取水口があることから、河床の伏流水を止めない構造の透過式堰堤とされた。この許可に基づいて、上河原堰は昭和一六年に着工され昭和二〇年に完成した。一方、宿河原堰の改築は、昭和一五年に改築の許可を受けたものの着工に至らないまま終戦を迎え、食糧増産確保の推進が国政上の最大の急務とされたため、二ケ領用水においても取水を安定させて増収を図るべく、この堰の改築は神奈川県営事業として推進されることとなつたが、昭和一二年の許可申請時に比して河床がさらに低下していたので、堰高を大きくする設計変更がなされた。宿河原堰の設置にあたつては、昭和二二年四月に東京都知事宛て、河川敷占用ならびに工作物改築設計変更および工期延長についての許可申請が行なわれ、同年九月に昭和一五年の許可とほとんど同じ条件が付されて許可されている(この時の許可書に当時添付されたと推定される設計図が「当初設計図」であり、また同図に記された設計が「当初設計」である)。そして宿河原堰は昭和二二年から昭和二四年にかけて神奈川県営事業として改築されたが、現場での施工にあたつては必ずしも当初設計どおり築造されてはおらず、その相違点は次のとおりである。即ち、まず第一に堰の天端標高は当初設計ではA・P一九・九メートルであるが、本件災害当時の現状はA・P二〇・〇メートルで一〇センチメートル高かつた。次に堰の左岸高水敷との取付部については、当初設計では低水路護岸法線が堰の上流面から下流側で堤防側に向かつて折れているが、同じく現状は堰上流面から下流約二〇メートルにわたつて直線で伸びており、また、堰の右岸の取付部については、当初設計より約七メートル堤防側に後退していた。第三に左岸取付部は、当初設計では嵌入部の先端から堤防法尻まで根入長四メートルの鉄矢板を一列施工することになつていたが、この施工は行なわれていなかつた。第四に小堤は当初設計にはなく、なお、許可条件には「堰の上流一〇メートル以下五〇メートル間の左右両岸堤防には計画高水位迄に混凝土の護岸を施し」となつているが、左岸堤防の護岸は前記小堤が築造された関係から混凝土護岸が施工されていなかつた。宿河原堰は以上のように改築された後昭和二五年三月に神奈川県から川崎市に移管され、現在まで同市が施設の維持、点検、操作、災害復旧等の管理を行なつてきた。

(三)  宿河原堰の構造

同堰は全長二九七メートルの鉄筋コンクリート造で、そのうち二五〇メートルが固定部で構成されており、堰天端の標高はA・P二〇メートルであつたこと、左岸側堰固定部は一五メートルにわたり高水敷の地表下約一メートルのところに嵌入していたこと、堰周辺の状況は別紙第一図および第二図記載のとおりであること、堰取付左岸には小堤および高水敷側壁の低水護岸が堰上流部から同下流に併行して設置されていること、以上は前記のとおり当事者間に争いがない。

2  本件災害発生の経過

<証拠略>および弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  多摩川流域では昭和四九年八月三〇日夜から同年九月一日にかけて、台風第一六号の影響を受け、上流氷川を中心に多量の降雨があつたため洪水が発生し、多摩川の水位は八月三一日早朝から上昇を続けたこと、

(二)  宿河原堰では、同日夕刻より堰固定部からの越流が始まり、九月一日午前一〇時には堰地点での本川流量は毎秒一六〇〇立方メートル前後となり、堰の越流水深は約二メートル、また堰の上下流の水位差は約四メートルに達したこと、

(三)  同日昼頃に、まず、堰左岸下流取付部護岸の一部が破壊され、次にこの破壊は護岸工と一体構造となつていた小堤に及び、小堤の破壊および高水敷の浸食が始まつたこと、

(四)  その後も河川流量は増加を続け、同日午後一時三〇分から午後二時の間に流量は毎秒二七〇〇立方メートル前後となり、この段階で堰上流部の小堤から高水敷への越流が開始したこと、

(五)  小堤からの越流が始まつてからは、本川水位の上昇とともにこの小堤からの越流延長および越流量は増加し、この間小堤自体の上流方向への破壊が進行した外、この越流水が小堤と堤防との間の高水敷を流下して、その大部分が前記高水敷浸食箇所に流入し、高水敷の浸食は上下流および堤防方向に徐々に増大していつたこと、なお、この高水敷の浸食は、小堤を越流し高水敷を流下して浸食箇所に滝状に落ち込む流れと、本川の堰固定部を越流して堰下流部に生じた流れとの二つの水流の作用によつて進行したものであるが、上流方向に比較して二倍ないし三倍の速さで堤防方向(川に直角方向)に進んだこと、

(六)  同日午後四時頃、小堤の破壊が堰嵌入部の上流面にまで達したこと、なお、この小堤の破壊は、本川水位の上昇に伴い小堤からの越流が増大して小堤上に下流方向への流れが生じたことにより小堤の天端から破壊部に越流し落下する水流によつて加速されたこと、

(七)  小堤の破壊が堰上流部に及んだため、この段階で小堤の破壊口から本川の流水の堤防方向に向かつて流れることとなり、堰を迂回する水流(迂回流)が生じたこと、このため、既に生じていた小堤からの越流水と相俟つて高水敷の洗掘と小堤の破壊を進行させたこと、

(八)  堰嵌入部の上流側に生じた右迂回流は急速に広がり、同日午後五時から午後五時三〇分頃に本川流量がピーク(毎秒約四二〇〇立方メートル)に達したこともあつて、堰嵌入部先端から堤防の表法尻にまで達する幅約三〇メートルの円弧状の迂回水路が形成されたこと、

(九)  同日午後五時三〇分以降、本川流量が減少するにつれ小堤からの越流量は減少したものの、小堤の破壊口からの迂回水流は依然として強く、高水敷を上下流および堤防方向に浸食し続けたこと、

(一〇)  その後、高水敷の浸食は堤防に及んだが、その時点では河川水位が堤防表法尻の高さ以下になつていたため、堤防はその地盤が浸食され、それに伴つて堤防自体も崩壊、流失していつたこと、

(一一)  同日午後一〇時二〇分には堤防が延長約一〇メートルにわたつて裏法尻まで流失し堤内地盤の浸食が始まつたこと、この時点で河川水位は既に堤内地盤高より下がつていたため、堤内地への洪水の氾濫は免れたが、迂回流による地盤の浸食はこの後も依然として続き、堤防の最終的な決壊は延長約二六〇メートルに達したこと、

(一二)  結局、迂回流による浸食は後記の如く同月三日まで継続し、堤内地への氾濫という事態は免れたものの、高水敷、本堤地盤および堤内地盤を洗掘、流失し、同月一日午後一〇時四五分頃最初の家屋(物置)が流失したのを始めとして、同月三日午後二時までの間に堤内の流失住宅地面積は約三〇〇〇平方メートル、流失家屋数は一九棟に達したこと、

以上の諸事実を認定することができる。右認定に反する証拠はない。

3  本件洪水の規模

請求原因2(三)の事実(但し本件洪水が格別異常な洪水ではなかつたとの主張部分は除く)は当事者間に争いがない。そして、<証拠略>によれば、多摩川流域(石原地点から上流域)において大正一二年以降の過去五二年間に年最大流域平均二日雨量が本件洪水をもたらした降雨(三一六ミリメートル)を上回るものは昭和三年七月三〇日(三五一ミリメートル)および昭和二二年九月一四日(三七六ミリメートル)の二回であり、昭和二四年の宿河原堰完成後では三〇〇ミリメートルを超える規模の降雨は本件災害時まではなく、本件洪水は右堰完成後としては最大の規模のものであつたこと、狛江地点において本件洪水で毎秒二五〇〇立方メートル以上の洪水継続時間は約九時間に及び、また石原観測所においても本件洪水時における指定水位(水防法一〇条の三の通報水位)以上の水位は約一九時間にわたつて継続したこと、もつとも同観測所における指定水位以上の水位の継続時間に関しては、昭和三三年以降に限つてみても、昭和三三年および昭和三四年の各洪水時に、最大洪水流量は本件洪水時のそれに比べてかなり小さいものであつたにもかかわらず、本件洪水時における前記継続時間をやや下回る程度の継続時間を記録していること、以上の事実が認められる。右事実に、前示当事者間に争いのない事実を併せて検討すれば、本件洪水は、前記宿河原堰設置後としては最大の規模のものであり、かつ洪水継続時間も比較的長かつたという点では、同堰およびその周辺に及ぼす影響が大きい洪水であつたといえるとしても、同洪水の狛江地点における最大流量が計画高水流量程度であり、しかもこの程度に至らない洪水においてさえ、これに近い洪水継続時間を記録した例があつたことに鑑みると、洪水流量および洪水継続時間の点において特に予測しがたい異常な洪水とまではいえないというべきであり、他にこの判断を左右するに足る証拠はない。

三  本件災害の原因

1  宿河原堰およびその周辺の河川構築物の状況と本件災害との関係

<証拠略>によれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を覆すに足る証拠はない。

(一)  堰本体について

宿河原堰は、多摩川のような流量の大きな大河川下流部に位置する堰としては、可動部の少ない高い堰であつた。そして本件災害時における同堰付近の水理現象は以下のとおりであつた。即ち、同堰において毎秒四二〇〇立方メートルの流量が流れた際、固定部の上流面で越流水深が約三・二メートルとなつたが、下流の水位はA・P一九・八メートル程度であり堰の天端の高さに達しなかつた。また堰を越流する流れは射流となつて高速で流れ落ち、続いて弱い跳水を起こし堰下流の水面につながり、この射流部の長さは約二〇メートル、跳水部の長さは五ないし一五メートルになつた。なお、本件災害をもたらした洪水の平均流速は毎秒約三メートル程度であつたのに対し、堰落下流の最大流速は毎秒一〇メートル程度とかなり大きいものであつた。以上のような結果、堰天端からの越流水は堰左岸下流取付部付近の護岸法面に激しく衝突することとなつて、当該箇所の損壊を一層増大させるものになつた。

(二)  堰左岸下流取付部護岸について

堰左岸下流取付部護岸の法勾配は一・五割ないし二割で(このことは当事者間に争いがない)、堰の高さが下流方向へ漸減するに従い、法足が河心の方向に出ることになつていて水流の乱れを生じ易く、より一層大きな外力を受け易い状態となつていた。また、堰左岸下流の護岸法線が、前記当初設計図による線よりも実際には約五メートル流心方向へ出ていた(これは堰軸が取付部で長さ三〇メートルにわたり下流側に一〇度傾斜していることとの関連で変更されたものと考えられる)ため護岸法足は更に流心方向に出ることとなつて、右の状態は一層増大された。そのうえ、左岸取付部護岸は、厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたに過ぎず(このことは当事者間に争いがない)、堰直下流部での水衝、洗掘あるいは裏側からの浸透水圧などに弱く、構造全体として耐久性に問題があつたのみならず、本件災害前における右取付部護岸の状況は、穴ぼこ、クラツク等が存在して雑草が生い繁り河床の取付部は損傷していたため、さらにその強度が低下していた。堰左岸下流取付部護岸の形式構造等が以上のようなものであつたためこれが破壊したことが本件災害の端緒となつて、前記のとおり、この破壊が護岸工と一体構造となつていた小堤に及び、小堤の破壊および高水敷の浸食へと進行していつたのである。

(三)  小堤について

本件洪水の宿河原堰地点における最高水位はA・P二三・一ないし二三・二メートル、同じく計画高水位はA・P二二・八四メートルであつたのに対し、小堤の高さは全長にわたりA・P二二・四ないし二二・六メートル(堰直上流部でA・P二二・四メートル)と右最高水位のみならず計画高水位よりも更に低いものであつたため、本件災害において計画高水流量が流れる以前の段階で堰上流部の小堤からの越流が開始する事態となつた(以上の事実は当事者間に争いがない)。その後河川水位の上昇とともに小堤からの越流延長および越流量が増加したことは既に述べたとおりであり、この越流は、小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大となり、最大越流水深は五〇ないし八〇センチメートル、最大越流量は毎秒一〇〇ないし一五〇立方メートル程度となつた。そして、この小堤からの越流水が高水敷を流下して堰下流の高水敷の浸食箇所に流れ落ち、その水勢により当該箇所の浸食を増大させることとなつたことは、前記二2に認定したとおりである。

なお、小堤は盛土(中詰土)の上を厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで三面を被覆した構造になつていたため、その破壊現象としては、災害の初期の段階では小堤と一体構造となつていた小堤の下の護岸および裏込の流失に伴つて破壊が進んだが、その後は被覆工が流失しこのため露出した小堤の中詰土が流失し、次に中空になつた被覆工が水圧等に耐えられずに倒壊するという過程が繰り返されたものである。

(四)  高水敷について

堰付近の高水敷は上流から下流に緩く傾いていたが(勾配は約三〇〇分の一)、児童遊園地として利用されていたため、砂利の上に三〇センチメートル弱の土が入れられ、これに芝が張られていたに過ぎず、何らの保護工も設置されていなかつた。そして、本件災害時における高水敷の水理現象は以下のとおりであつた。即ち、小堤からの越流の増大に伴い高水敷の水深、流速は各地点で増大し、このうち、まず水深については、下流で深く上流で浅くなつていたが、小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大で約一・三メートル程度となり、また流速は、下流で大きく上流で小さくなつていたが、水深と同じく小堤の破壊が堰上流面まで達する直前に最大で毎秒二・五メートル程度となつた。この結果、高水敷は、小堤を越流し高水敷を流下して浸食箇所に滝状に落ち込む流れと、堰固定部を越流して堰下流部に生じた流れとの二つの水流の作用によつて容易に洗掘を受け、ひいては高水敷の地表下約一メートルのところに入つていた堰嵌入部が洗い出されることになつてしまつた。

(五)  堰と本堤との接続方式について

前記二1に認定したとおり、宿河原堰は、堰本体嵌入部が堰地点で幅約四五メートルある高水敷の地表下約一メートルのところに長さ一五メートルだけ入つており、本堤までつながつていなかつた(堰は本堤に直接取付けるのが普通であることは後に認定するとおりである)。このため本件災害で、堰上流の小堤が破壊した後、高水敷の浸食が続き、この嵌入部を中心に大きな迂回流が生じ、これが拡大して本堤の破壊をもたらすこととなつた。また、このように堰の嵌入部が高水敷の途中まで入つていたことは、迂回流が形成されてからは結果的ではあるが左岸側に水をはね、迂回流による横浸食を一層増大させることになつた。

(六)  河床等について

決壊箇所付近一帯の土層は、若干の表土の下に洪水には比較的洗掘され易い玉石混りの砂れき層が約四メートル程度あり、さらに地盤より約五メートル下(A・P約一六メートル)には固結シルト層があつたので、それより下方への浸食が妨げられて平面的な横浸食が助長され、その結果、災害が拡大された。また、堰下流部の河床が堰設置後ある程度低下しており、このため迂回流の流速を増大させることになつた。

2  本件災害の原因についての総合的考察

右1に認定した事実と、前記二の2および3に認定した各事実とを総合すると、本件災害を発生させるに至つた主たる原因は、多摩川に設置させている宿河原堰およびその周辺に存する護岸、小堤等の河川構築物の構造、形式等に認められる前説示のような諸状況が、前述のとおり相互に競合しあるいは複合したことにあることは明らかである。

四  河川管理の瑕疵

1  河川管理の瑕疵の捉え方

国家賠償法二条一項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国および公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としないと解されている(最高裁判所第一小法廷判決昭和四五年八月二〇日民集二四巻九号一二六八頁参照)。そして、営造物の設置または管理の瑕疵による損害賠償責任の論定にあたつては、人工公物、自然公物といつた公物成立上の分類によつてその適用の範囲程度を区別して両者についての管理責任に質的な差異を設け、あるいは道路等の人工公物のそれに比較して自然公物たる河川につき特に制限的な判断基準を導き出すことは、単なる概念のみにとらわれ実態を軽視するものというべきであつて、国賠法の解釈上もその趣旨に反し相当でないというべきである(この点に関しては被告の主張に対する原告らの反論1(二)において原告らが論ずるところを肯認すべきである。但し重複をさけるためにここに記述するのを省略するが、同主張の趣旨を留意すべきである)。

ところで、本件においては、前説示のとおり、本件災害の主たる原因を構成した宿河原堰およびその周辺に存する護岸等の河川構築物の一部は、河川区域内の土地に河川管理者の許可を受けて設置された工作物およびその付属施設で、本件災害当時、川崎市の管理に係るものであつたので、河川管理の瑕疵を解釈するにあたつては、この取り扱いないし位置づけについて検討を加えておく必要がある。しかして、河川法は河川の総合的な管理という同法の目的に沿つて許可工作物に関する幾つかの規定をもうけており、特に同法七五条二項では、「河川管理者が公益上やむを得ない必要があるとき等所定の場合に、許可を受けた者に対し、当該許可を取り消し、変更し、その効力を停止し、その条件を変更し、もしくは新たに条件を付し、または工作物の改築もしくは除却、工作物により生じたもしくは生ずべき損害を除去し、もしくは予防するために必要な施設の設置その他の措置をとることもしくは河川を原状に回復することを命ずることができる」旨定めている。このように河川管理上、河川管理者に広範な監督処分の権限が与えられている以上、河川管理の瑕疵を解釈するにあたつては、河川法上の河川管理施設と許可工作物との間で取り扱いを峻別し、後者についてはその危険の放置を営為義務の懈怠とまで把える必要性ないし実益は乏しく、むしろ許可工作物等を包含した河川全体として通常有すべき安全性を備えているかどうかの側面から客観的に判断すれば足りるものと考えられる。

以上のような諸観点に立脚すれば、河川において通常有すべき安全性とは、当該河川が置かれている地形・地質等の自然的諸条件の下で、許可工作物等の人工設備をも含めた河川全体(河川管理施設が河川法上河川に含まれていることは明らかである)として、通常予測される洪水(計画高水流量規模の洪水)に対しては、これを安全に下流へ流下させ、もつて右洪水による災害を堤内地住民に及ぼすことのないような安全な構造を備えることであると解される。されば、右に説示した河川において通常有すべき安全性の観点に従い、次に具体的に本件河川管理の瑕疵につき考察を進めることとする。

2  多摩川の管理の瑕疵

(一)  宿河原堰およびその周辺の河川構築物の危険性とその放置

(1) 堰本体について

<証拠略>を総合すれば、一般に、堰を設置した場合、その付近上下流の流水の変化として、堰上流側における水位の上昇(いわゆる堰上げ)、堰下流側における流速の増大等がみられ、これらの影響により堰の上下流付近においては通常の河道に比較し河岸あるいは護岸等が浸食ないし洗掘される危険性が高いこと、右危険性は、堰高が高ければ高いほど、また可動部が少なければ少ないほど、増大する傾向のあることが認められる。このことは、前記三1(一)に認定したとおり、本件災害において、宿河原堰天端からの越流水が堰左岸下流取付部付近の護岸法面に激しく衝突することとなつて、当該箇所の損壊を一層増大させる役割を果たした事実に照らしてみても首肯できるところである。そして、<証拠略>によると、昭和一〇年に設置された水害防止協議会の決定事項中に、堰堤に関して、「下流平地部ニ築造スル取水堰堤ハ治水上ノ影響ヲ充分考慮シ且比較的高キモノハ成ルヘク可動堰ト為スコト」、「堰堤ノ高ハ下流平地部ニ於テハ洪水ノ影響ヲ考慮シ之ヲ必要ノ最小限度ニ止ムルコト」との各項目があることが認められる。また、<証拠略>によれば、昭和三三年度の建設省河川砂防技術基準でも、「本体の高さは目的に適合する範囲で、できるだけ低くとる」、「本体の高さは、取水堰にあつては所要の水量を得られる高さとし、その範囲で治水上支障が生じないようできるだけ低いものとしなければならない」旨の各指示がなされていることが認められる。而して<証拠略>によれば、右に認定したような決定および指示は、堰(とりわけ高くかつ可動部の少ない堰)に伴う前述のような危険性を避けるためになされているものであることが認定できるのである。

ところで、宿河原堰は、前述のように、二ケ領用水の取水を目的とした取水堰であるが、<証拠略>および弁論の全趣旨を総合すると、同堰からの取水状況については次のような推移をたどつたことが認められる。即ち、まず右用水の灌漑面積は、明治末年に二八〇〇ヘクタール余であつたが、その後は逐次減少し第二次世界大戦の前には一五〇〇ヘクタール台に、宿河原堰の改築が始まる昭和二二年には一一七〇ヘクタール台へと漸減しており、その後は周辺の急激な宅地化によつて減少が更に著しく、本件災害当時は樹園地を含めても二〇〇ヘクタール内外にまで激減していること、これに応じて流水の占用については、昭和九年に前記用水を当時管理していた稲毛川崎二ケ領用水普通水利組合に対して河川管理者たる神奈川県知事から毎秒四・一七四立方メートルが灌漑用水として一〇箇年の期限で許可され、その後昭和一九年から流水の占用許可を受けている川崎市に対して昭和三三年には毎秒二・六七立方メートルが同じく灌漑用水として許可されており、昭和四三年の更新申請に際しては、昭和四〇年に施行された新河川法に基づいて建設大臣に対して昭和三三年と同じ内容で申請されているが、都市化に伴つて明らかに灌漑面積が減つているので灌漑用水量の精査を行なうことが必要だとして許可が保留されていること、以上の事実が認められる。一方<証拠略>によれば、大河川に可動堰ないし可動部の多い堰を設置する技術水準については、次のような変革があつたことが認められる。即ち、宿河原堰設置の後である昭和三〇年代の中頃までは堰の可動部の幅(径間長)を長くする技術は開発されておらず、またその当時はゲートの開閉技術も十分に信頼できるものではなかつたため、その頃までは大河川に本格的な可動堰の設置が試みられることは少なかつたこと、宿河原堰は、前説示のように、多摩川のようを流量の大きな大河川下流部に位置する堰としては、可動部の少ない高い堰として築造されたが、その当時の技術手法としては、その頃の全国の実施例などからみてこのような型式の堰は一般に採用されており、仮に宿河原堰を可動堰として築造した場合には、先に述べたようなその築造当時の技術水準からは多数の堰柱を設けざるを得ず、洪水時には流木等により堰が閉塞するおそれがあるばかりでなく、さらにゲートが開かない可能性などもあつて、治水の上ではむしろ望ましくなかつたこと、しかしながら、昭和三〇年代半ば以降、径間長を長くする技術が開発されるなどの技術革新により、可動部の多い堰の設置あるいは大河川における可動堰の設置が技術的に可能となつたこと、以上の事実が認められる。さらに、検証の結果および弁論の全趣旨によれば、本件災害後の復旧工事において、宿河原堰左岸側の固定部は高さが九〇センチメートル切り下げられ、その上に二五センチメートルの蛇籠が設置されており、結局、蛇籠の部分を含めても本件災害当時より六五センチメートル低いものに改修されたことが認められる。

以上に認定した諸事実を総合すれば、宿河原堰は、その設置当時はともかくとして、少なくとも本件災害当時の判断としては、取水状況の推移に照らしてみても堰の高さを設置当時のままに維持しておく必要はなかつたのであるから、高くかつ可動部の少ない堰に伴う前述のような危険性が放置されていたものといわさるを得ない。

(2) 堰左岸下流取付部護岸について

一般に、堰を設置した場合、その付近上下流の流水の変化として、堰上流側における堰上げ、堰下流側における流速の増大等がみられ、これらの影響により堰の上下流付近においては通常の河道に比し護岸等が浸食ないし洗掘される危険性が高いこと、このような危険性は堰高が高いほど、また可動部が少ないほど増大する傾向のあることは、右(1)に認定したとおりである。さらに<証拠略>によれば、堰下流部の地形、構築物の形状如何によつては水が局部的に渦を巻くなど複雑な水流を生ぜしめることになつて洗掘等を助長するようなことがしばしば起きること、そのため堰上下流部に存する護岸等は特に念を入れて強固にすべきことは河川技術者の常識となつていることが認められる。そして<証拠略>によると、前記建設省河川砂防技術基準においても、堰下流の側壁護岸について、「堰による複雑な高速水流を受けるのであるから、通常河道のものより相当堅固なものとする必要があるばかりでなく、堰を越えた水流を円滑に下流に導くために有効な形状を有することが望ましい」とされていることが認められるのである。

本件において、宿河原堰は、前説示のとおり、堰本体が高くかつ可動部が少ないものであつたから、先に認定したところによれば、堰を越流した場合の水勢がとりわけ激しくなり、従つて、その水勢に耐え得るように堰左岸下流部の取付護岸は特に念入りに強固にしておくべきであつたにもかかわらず、前記三1(二)に認定したとおり、同護岸は、厚さ一五センチメートルの植石コンクリートで覆われていたに過ぎず、この工法は堰直下流部での水衝、洗掘あるいは裏側からの浸透水圧などに弱く、構造全体として耐久性に問題があるものであつた。そのうえ前記三1(二)に認定したとおり、同護岸は法足が流心方向に出ていたため、より一層大きな外力を受け易い状態となつており、しかも水流の乱れを生じ易いものとなつて、堰を越えた水流を円滑に下流に導くために有効な形状にしておくべきものとする前記建設省河川砂防技術基準にも適合しないものであつた。

ところで、原告らは、さらに、宿河原堰と上河原堰との間において取付部護岸の構造等を比較検討すべき旨主張し、これに対し被告は、左岸に水衝部のある上河原堰と、水衝部が反対の右岸にあり、しかも左岸には広い高水敷を有する宿河原堰とでは、流水の作用等の条件を異にするのであるから、これらの差異を抜きにして、その護岸の施行方法を比較しても無意味であると主張するので、この点について考察を加える。

<証拠略>および検証の結果を総合すれば、上河原堰付近において多摩川は、西北西から東南東にほぼ真直ぐ流れており、洪水時における流心は左右両岸のいずれか一方に片寄ることはなく、堰左岸側も水衝部となることがあつたこと、堰左岸取付部付近には高水敷はなく、堰本体は直接堤防に取付けられていたことが認められる。一方、宿河原堰付近における多摩川は南東からやや東方に向きをかえて流れており、明治一八年以来低水時における河川の流心は概ね右岸寄りにあつたこと、堰左岸取付部付近には堰地点で幅約四五メートルある高水敷が存在していたことは、前記二1に認定したとおりである。しかしながら、<証拠略>および弁論の全趣旨を総合すれば、一般に高水時には低水時より流れが直進する傾向があり、洪水時における流心がしばしば低水時のそれと異なつた所に移動し、全く逆の側へ移ることがあることも経験上知られていること、洪水時においても河川流量の変化に伴い流心がある程度移動することが認められ、さらに本件全証拠によるも、本件洪水において宿河原堰付近では流心が常に右岸側にあつて左岸側への流心の移動がなかつたものとは認めることができない以上、宿河原堰と上河原堰とでは洪水時における水衝部が逆の側にある旨の被告の前記主張は採用し得ないというべきである。なお、堰越流水が堰取付部護岸に及ぼす影響を考察する上では、高水敷の有無は直接には関係がないことは、既に述べたところから明らかである。従つて、宿河原堰と上河原堰との間における取付部護岸の構造等を比較検討することは、被告の主張するように無意味なものではなく、原告ら主張の如く比較検討すべき必要が存するものというべきである。そこで以下において、右の点につき判断を加えることとする。

前記二1(二)に認定したとおり、上河原堰は神奈川県営事業として昭和一六年に着工され昭和二〇年に完成した取水堰堤で、<証拠略>によると、本件災害当時の宿河原堰とほぼ同様の構造であつたことが認められる。そして、昭和四一年に堰本体が被災した後、現況のように改築されたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、この改築は昭和四三年暮から昭和四六年六月までの工期で実施されたことが認められる。検証の結果および弁論の全趣旨によれば、現況の上河原堰の左岸下流取付部付近は次のような構造であることが認められる。即ち、堰左岸取付部の護岸は垂直擁壁になつており、法足は川側に出ていず、水の流れを妨げないと同時に取付部に対する越流水の衝撃は著しく軽減される構造になつていること、取付部における護岸法線は堰軸に対して直角であつて水の流れに沿つており、下流部では堤内地寄りになつて河幅が広げられているので水流の妨げになつておらず、この点でも越流水に対する護岸の負担を軽減する構造になつていること、さらに、堰左岸取付部の垂直擁壁は厚さが上部で四〇センチメートル、基部で五〇ないし六〇センチメートルの強固な鉄筋コンクリート造になつており、この直立擁壁の基礎には四・五ないし八・〇メートルの鋼矢板が打設されていること、以上の事実がそれぞれ認められる。

右に認定した上河原堰左岸下流取付部付近の護岸が有する形式・構造・材質等に比較すると、既に説示したような宿河原堰の左岸下流取付部付近の護岸が、前記諸点のいずれよりしても差異を有し、結局、全体として著しく脆弱で耐久性を欠くものであつたことは、明らかというべきである。

ところで、宿河原堰左岸下流取付部の災害は本件災害が始めてではなく、昭和三三年の出水(最大洪水流量は毎秒三〇〇〇立方メートル)時に護岸の一部が被災している外、昭和四〇年の出水(最大洪水流量は毎秒一四〇〇立方メートル)時にも護岸および小堤の一部が破損していたこと、これらの被災に際して河川管理者は堰の管理者をして原形復旧工事を行なわしめたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠略>を総合すれば、昭和四〇年の被災後、堰左岸取付部では、堰の上流側より数えて第二段目から下流約三五メートルにわたつて、護岸および小堤先端部分(天端部の長さでいうと約一三メートルに及ぶ)がほとんど元と同じ形・構造の原形復旧が行なわれたこと、昭和四〇年の際の被災状況は本件災害の初期の状況とほぼ同様のものであつたが、その時の洪水は、前記のとおり、本件洪水ほど大きくならなかつたため、この程度で済んだものであることが認められ、以上のような従前の被災状況に照らしてみても、宿河原堰左岸下流取付部付近の護岸が脆弱であつて、洪水の程度如何によつてはその破損の程度が小堤にまで拡大する危険性を有していたことが肯認できるのである。

このように、堰左岸取付部付近の護岸は、本来的に、脆弱な形式構造であつたが、これに加えて、本件災害前における右護岸の状況は、穴ぼこ、クラツク等が存在し雑草が生い繁つてさらにその強度が低下していたことは前記三1(二)に認定したとおりであり、右のような不適切な維持管理のために同護岸にみられる前記危険性が一層増大するところとなつたことは明らかである。

なお、検証の結果および弁論の全趣旨によれば、本件災害後に行なわれた復旧工事により、宿河原堰左岸下流部の護岸は次のように改修されていることが認められる。即ち、同護岸は垂直擁壁となつており、護岸法面は堰に垂直で法足は流心方向に出ていない。右垂直擁壁は厚さが上部で八〇センチメートル、基部で二五〇センチメートルの鉄筋コンクリート造となつており、この基礎には長さ三メートルの鋼矢板が打設されている。さらに、直立擁壁の上下流の低水擁岸は法枠コンクリート張りおよびコンクリートブロツク張りとされていて、護岸基礎には長さ三メートルの鋼矢板が打設され、その前面にはテトラポツト三トンによる根固工が施工されている。されば、宿河原堰左岸下流部の護岸は、前記復旧工事によつて、先に認定した上河原堰の取付部護岸とほぼ同様の構造に改修されていることが認められるのである。

以上に認定した諸事実を総合すれば、宿河原堰左岸下流取付部の護岸は、同堰のような可動部の少ない高い堰の取付部に存する護岸としては、著しく強度が不足する危険性の極めて高いものであつたことが明らかであり、かつ本件災害に至るまで右危険性は放置されていたものというべきである。

(3) 小堤および高水敷について

まず、前記二1(二)に認定したとおり、宿河原堰の改築に際しては必ずしも当初設計どおりに築造されていなかつたのである。即ち、当初設計では堰の上流一〇メートル以下五〇メートル間の左右両岸堤防には計画高水位迄に混凝土の護岸を施すこととなつていたが、右混凝土の護岸は施工されていないのである。また、当初設計では堰の嵌入部先端から堤防法尻まで根入長四メートルの鉄矢板を一列施工することになつていたが、この施工も堰施工の段階で取り止められたのである。そして、右混凝土の護岸にかわつて当初設計になかつた小堤が実施されることになつたという経緯がある。

そこで、右小堤(およびそれとの関連において高水敷)について考察を進める。<証拠略>によれば、堰左岸側に設けられた小堤は、古くから上流より連続して存在していた在来堤を、右に述べた堰の改造工事と関連して長さ八二メートルにわたり補強したものであること、当初設計図には堰の設計上の計画高水位として「H.W.L.A.P.22.40」と記されており、小堤の高さ(前記のとおり全長にわたりA・P二二・四ないし二二・六メートル、堰直上流部でA・P二二・四メートル)はこの堰の設計水位に合わせて決められた蓋然性が高いこと、従つて、計画高水流量までの洪水をこの小堤部分で防ぎ、洪水を原則的には高水敷に被らせないか、あるいは被つても左程大きなものとはならず、高水敷および本堤を洪水から防護しうるものと推測されていた蓋然性が高いことが認められる。<証拠略>中、右認定に反するかの如き証言部分があるが、前掲各証拠に照らし措信できないし、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

しかるに、前記三1(三)に認定したとおり、宿河原堰地点における実際の計画高水位はA・P二二・八四メートルであつたので、この小堤の高さはこれより低かつたし、また、本件洪水における最高水位はA・P二三・一ないし二三・二メートルであつたため、右設計水位より更に高い水位で小堤を越流することになつた(なお、本件洪水における最大流量が計画高水流量と同程度であつたにもかかわらず、堰地点において計画高水位と本件洪水の最高水位との間で右のような差が生じているのであるが、<証拠略>によれば、この理由は通常、河川内に新しく堰等の工作物が設置され、この影響によりそれ以前と比較して河川水位の上昇をもたらすことになつても、既に設定されている計画高水位はこのため特に修正されることはなく、本件においても宿河原堰の改築に際してこのような修正がなされなかつたためであると認められる)。従つて、本件災害においては計画高水流量が流れる以前の段階、即ち河川流量が毎秒二七〇〇立方メートル前後となつた段階で堰上流部の小堤からの越流が開始する事態を生じ、この越流水が高水敷を流下して堰下流の高水敷の浸食を増大させる原因となつたことは、既に述べたとおりである。

また、このように小堤が低く設置されている以上、計画高水流量程度の洪水が流れた場合には、高水敷上を越流水が流下することとなるのに、高水敷には何らの保護工も施工されておらず、右小堤からの越流水および堰越流水の作用により容易に洗掘を受ける結果となつたことも前記三1(四)に認定したとおりである。

そして、<証拠略>によれば、堰と本堤との接続形式としては、通常、堰を直接本堤に取付ける方式が採られており、宿河原堰のように、堰本体が本堤までつながらないでその間に存する高水敷の途中まで嵌入しているに過ぎず、かつその取付部には本堤にほぼ平行して小堤が設置されている方式は、全国的にみても極めて特異な接続形式であることが認められ、しかも、前述のように、この小堤設置の方式は堰施工の段階において当初設計で予定されていた混凝土の護岸の施工を取り止めこれにかわるものとして採用されたものである。従つて、このような堰と本堤との接続形式に伴う小堤等の安全性の確保には特に万全を期すべきであつたのに、先に述べたように、小堤の高さは当初の推測と異なり計画高水流量の洪水が流れた場合の河川水位よりもかなり低く設置されていたため、計画高水流量が流れる以前の段階から堰上流部の小堤からの越流が生ずることとなり、この越流水が堰下流部における堰越流水の作用と相俟つて、保護工が設置されておらない結果容易に洗掘を受け易い状態となつていた高水敷の安全性を更に低下させる危険性を有していたのである。なお、検証の結果および弁論の全趣旨によれば、本件災害後の復旧工事により次のように改修されたことが認められる。即ち、小堤は全て取り除かれて、堰取付部から本堤につながる高水敷には布団籠が敷きつめられているのである。さらに高水敷は、堰より上流では計画高水位まで盛土して芝付を施され、堰より下流では下流に存する民有地にすりつけるため上流より順次低くしてその高さに合わせた造成がなされているのである。

以上に認定した諸事実を総合すれば、宿河原堰左岸の小堤と高水敷は、それらの構造・施工等自体からしても、また前記堰本体および同取付部護岸との関連からしても、危険性が極めて高いものであつたことが明らかであり、かつ本件災害に至るまで右危険性は放置されていたものというべきである。

(二)  宿河原堰左岸付近の危険性の総合的考察と災害の予測可能性

既に認定したような本件災害当時における宿河原堰左岸付近の諸状況において、最大流量が計画高水流量程度に達する規模の洪水の到来をみた場合、同所付近の危険性については、次のように指摘することができる。

まず、宿河原堰では同堰地点における洪水流量が毎秒一六〇〇立方メートル前後となつた段階において、堰の越流水深は約二メートルに、また堰の上下流の水位差は約四メートルに達することは前記二2において認定したとおりであり、加えて前記四2(一)の(1)および(2)で認定したように、同堰は多摩川のような大河川の下流平地部に存する堰としては、可動部の少ない高い堰であつたため、その越流水は同堰左岸下流取付部付近の護岸等に対して浸食ないし洗掘を加える危険性が高く、一方右取付護岸は、その形式・形状が堰越流水等の外力を受け易い状態になつており、しかも宿河原堰のように可動部の少ない高い堰の直下流部に位置する護岸としては、元来著しく脆弱な構造であつた上、その維持管理の悪さも手伝つてさらにその強度が低下していたため、前記危険性が一層増大していたのである。右各事実と、前記四2(一)(2)に認定した右取付部付近における過去の被災例とを併せ考えると、堰左岸下流取付部護岸は洪水流量が計画高水流量程度となる以前のかなり早い段階で堰越流水等の洪水の作用により破壊される危険性が極めて高いものであつたことは明らかというべきである。

次に、前記危険性による災害の予測可能性につき判断を進める。

まず、右護岸が破壊された場合、先に述べた過去の被災例、特に昭和四〇年の例における洪水流量および被災状況に照らせば、護岸の破壊がこれと一体構造となつていた小堤に及び、小堤ひいては高水敷の浸食が始まることは当然予想されることであるし、さらに洪水流量が増大した場合には後述する小堤からの越流水の作用と相俟つてこの護岸および小堤の破壊が上流方向にも拡大してこの程度が特に堰嵌入部の上流面にまで達し得ることも十分に予測できたというべきである。また、小堤の高さは計画高水流量の洪水が流れた場合の実際の河川水位よりもかなり低く設置されていたため、右程度の流量が流れる以前の段階、即ち毎秒二七〇〇立方メートル前後となつた段階から堰上流部の小堤からの越流が開始して、この小堤からの越流水は高水敷上を流下することとなり、前述のように下流部の高水敷が堰越流水の作用により浸食されている場合、この浸食箇所に滝状に流れ落ちる事態を生むことは、前記四2(一)(3)に認定したとおりであり、加えて、前記三1の(四)および(六)において認定したとおり、高水敷には何らの保護工が設置されておらず、しかもその土質は若干の表土の下に洪水には比較的洗掘され易い玉石混りの砂れき層が約四メートルの深さで広がつていたことに鑑みれば、既に説示した堰越流水および小堤からの越流水の二つの水流の作用により高水敷の浸食は一層促進され、これが上下流方向および堤防方向に拡大する蓋然性は極めて高いものといえる。そして、先に述べたように小堤の破壊が堰の上流部にまで達した場合、堰によつて流下を妨げられている本川流水はこの小堤の破壊口から堰嵌入部の上流側を堤防方向に向かう流れとなつて高水敷上に流れ込むこととなることは前記二2において認定したとおりであり、この段階に至ると、前述のような高水敷の浸食が上下流および堤防方向に拡大する傾向は更に強まるものと考えられるから、右の傾向が進むと遂には堰嵌入部を迂回する水路が高水敷上に形成されるであろうことは十分に予想できるのである。

このようにして、多摩川のような大河川で堰嵌入部を迂回する水路が形成された場合、宿河原堰のように全長が二九七メートルに達する大規模な堰で、とりわけ下流平地部に位置するものとしては高いと考えられる堰固定部が左岸側に二〇〇メートルにわたつて設置されている堰にあつては、堰によつて円滑な流下を妨げられて左岸側の迂回水路へと流入する流量は、最大洪水流量(計画高水流量)の洪水が流れる際には勿論のこと、仮に洪水流量がある程度の減少をみた場合にあつても、かなり大きなものになるであろうことは容易に推察できるところであり、しかも前記三1(六)で認定したとおり、この付近一帯の土層の特徴として、地盤より約五メートル下(A・P約一六メートル)には固結シルト層があつて、それより下方への浸食が妨げられて平面的な横浸食が助長される状況にあつたのであるから、迂回流による浸食力が極めて大きなものとなり得ることは十分に予測できたところである。加えて、最大流量が計画高水流量程度の洪水の場合には、通常洪水継続時間もある程度長くなると考えられるから(因みに、本件洪水においては、前記二3に認定したとおり、狛江地点での毎秒二五〇〇立方メートル以上の洪水継続時間は約九時間に及んでいる)、先に述べたような迂回流の浸食力は時間的にも相当程度維持され得ることとなるのである。ところで、<証拠略>および弁論の全趣旨を総合すれば、多摩川において堰周辺に迂回流が発生して地盤が浸食されてゆく形態の災害は本件災害以前にも上河原堰において発生していること、即ち、昭和二二年九月一四日から同月一五日にかけて、多摩川流域ではいわゆるカスリーン台風の影響を受けて多量の降雨があり(前記二3で認定した石原地点から上流域における年最大流域平均二日雨量が三七六ミリメートルを記録したのはこの降雨に際してである)、このため石原地点において最大流量がほぼ計画高水流量程度の毎秒四一〇〇立方メートルを記録し、下流部の上河原堰(前記四2(一)(2)に認定したとおり、昭和一六年に着工され昭和二〇年に完成したもので、本件災害当時の宿河原堰とほぼ同様の構造の取水堰堤であつた)付近でも河川水位が上昇して同月一五日夜半に最高水位を記録した後、次第に水位は減少し、この段階までは堰取付部には何らの異常も生じていなかつたにもかかわらず、翌一六日朝になつてから堰左岸取付部を迂回する水流が生じていることが発見されたこと、この迂回流により左岸の取付堤防が約一〇五メートルにわたつて決壊し、堤内地盤が堤防より最大で約三〇メートルの範囲でほぼ円弧状に流失したこと、以上の事実が認められる。そこで、右に認定した事実と、先に説示した迂回流の浸食力の程度および継続時間とを併せて検討すれば、宿河原堰左岸の高水敷上に堰嵌入部を迂回する水路が形成された場合、迂回流はかなりの幅にまで拡がり堰嵌入部先端から堤防法尻にまで達する幅約三〇メートル程度にまで拡がり得ることは十分に予測できたというべきである。

さらに、このような迂回流が堤防法尻にまで達した場合、水位が依然として堤防地盤高よりも高い状態であれば堤防自体が、また右地盤高を下回つた状態であれば堤防地盤が、それぞれ洗掘され得ることとなるのであるが、<証拠略>によれば、本件災害当時の宿河原堰左岸付近の堤防には法覆工として被覆土の上に張芝が行なわれ、コンクリート等の高水護岸は設けられていなかつたこと、右堤防の堤体材料は、堤防地盤等と同様の砂利および砂を利用して築造されているため、洪水による洗掘には比較的弱いものであつたこと、堰上下流の堤防の法先には鉄矢板等の洗掘を防止する施設は設けられていなかつたことが認められる。以上の認定事実に徴すれば、堤防ないしその地盤はいずれも前記高水敷に比較した場合迂回流による洗掘作用に対する強度が優るものとは考えられず、むしろ堤防ないしその地盤に対しては迂回流がほぼ垂直に近い角度で直撃することとなるのであるから、先に述べた水位がいずれの状態にあるとを問わず、場合によつては堤防が裏法尻まで決壊する可能性のあることは十分に予測できるのであり、さらにこの段階においてなお水位が堤内地盤高よりも高い場合であれば洪水が堤内地に氾濫する事態を生じ、また、右地盤高を下回つた場合には堤内地盤がさらに迂回流による洗掘を受けることとなつて、いずれの場合においても堤内地にまで洪水による被害が及び得ることは予想し得るのであつて、前記一1に認定したとおり、堤防に近接する堤内地は既に住宅地となつていたのであるから、ここに居住する者らに対し家屋流失等の重大な被害をもたらすであろうことも予想できたところである。

以上のとおり、宿河原堰左岸付近の置かれている地形・地質等の状況の下においては、最大流量が計画高水流量程度に達する規模の洪水の到来をみた場合、宿河原堰およびその周辺に存する護岸・小堤等の河川構築物に存する諸々の危険性が、相互に競合しないしは複合して本件災害を含む堤内地災害につながる可能性のあることは、十分に予測できたというべきである。

(三)  被告の主張1(本件災害の予測不可能性)の排斥

これに対し、被告は、本件災害が発生することは事前に予測することができなかつたとしてその論拠を縷々主張し、右主張の一部については叙上の認定において既に判断を加えてきたところであるが、その余の主張についても、以下に述べるとおり、いずれも採用できないものである。

まず、被告は、本件災害の特異性からしてその発生を予測することは不可能であつた旨主張し、<証拠略>によれば、本件災害が発生する以前において、堰下流部取付護岸の損壊を切つ掛けとして、堰を迂回する水流が発生し、これにより堤防地盤が浸食され、そのため堤防自体が流失するという経過をたどつた災害は全国的にみて皆無かもしくは非常に稀有な事例であつたことが認められる。しかしながら、他方において、堰と本堤との接続形式としては、通常、堰を直接本堤に取付ける方式が採られており、宿河原堰のように堰本体が本堤までつながらないでその間に存する高水敷の途中まで嵌入しているに過ぎず、かつその取付部には本堤にほぼ平行して小堤が設置されている方法は、全国的にみても極めて特異な接続形式であつたことは前記四2(一)(3)に認定したとおりであり、このような接続形式であつたことが本件災害において迂回流を発生させ、ひいては堤防の決壊をもたらす重要な原因となつたことは前記三1に認定したところから明らかである。してみると、先に認定したように、本件災害と同様の経過をたどつた災害が皆無かもしくは非常に稀有な事例であつたのは、宿河原堰と本堤との接続形式そのものが極めて特異なものであつたことに起因するというべきである。そして、河川が通常有すべき安全性を備えているかどうかを判断するにあたつては、当該河川が置かれている具体的諸状況の下におけるそれを考えるべきは当然であつて、宿河原堰と同様の接続形式を有する堰そのものが他にほとんど例をみないものであつた以上、本件災害が偶々特異な経過をたどつたからといつて、このことから直ちに本件災害の発生の予測不可能性を導くことはできないのである。却つて、宿河原堰左岸付近の多摩川が置かれている具体的諸状況の下では本件災害が発生し得る危険性が十分予測できたことは既に指摘したとおりである。

次に、被告は、宿河原堰左岸下流取付部護岸の昭和三三年および昭和四〇年における被災に関して、昭和三四年には昭和三三年をしのぐ出水があり、また昭和四一年、四六年および四七年には昭和四〇年の出水をかなり上回る出水が生じたにもかかわらず、同護岸には何らの被害が生じなかつた以上、右被災例から本件のような災害の発生を予測することはできなかつた旨主張する。しかして、被告の右主張は、一定規模以上の流量の洪水においては、常に同護岸が被災しない限り本件災害の予測はできないとの前提に立つ主張と解さざるを得ないのであるが、右護岸の危険性ないし本件災害の予測可能性を判断する上で、このような前提にはそもそも立脚し得ないものと考えられるから、右事実が真実であるかどうかにつき判断を加えるまでもなく、被告の前記主張は到底採用することができないものである。

被告は、また、本件災害のような経過をたとつた河川災害は、かつて我が国で経験されたことがなく、経験に依存する度合の高い河川工学においては、このような未経験の事象に対する予測は極めて困難であつた旨、および本件災害のような複雑な要因のからみ合つた災害について、災害後の調査によつて得られた多くの知見も有しない状況の下で、現象に対する何らの予測もなく模型実験を行なつたとしても、本件災害の発生を予測することができなかつた旨主張する。しかして、被告の右主張は、要するに、本件災害の特異性からしてその発生を予測することが不可能であつたとの前提に立つものと解されるが、この前提が採用できないものであることは前記説示のとおりであるから、被告の右主張もまた採用することができない。

なお、被告は、東京都北多摩南部建設事務所が定めた昭和四九年度の水防計画によれば、本件災害箇所を管轄する右事務所管内において、水防上注意を要する箇所として挙げられているのは調布市小島町地先のみであるから、水防管理者もまた本件災害箇所を危険箇所であるとは認識していなかつた旨主張(被告の主張2(五)の「河川の整備と水防活動」において述べている)する。しかしながら、本件災害の予測可能性の有無を判断する上において、水防管理者の認識内容如何はこれと直接関連を有するものでないことは明らかであるから、右主張をもつて本件災害の予測不可能性を裏付ける徴憑となし得ないものであることは当然である。

叙上のとおり、本件災害の発生を事前に予測することができなかつた旨の被告の主張は、いずれも採用することのできないものである。

(因みに、前掲甲第一号証の多摩川災害調査技術委員会報告書((以下「報告書」という))中には、前述した昭和四〇年の宿河原堰左岸下流取付部護岸および小堤の被災に際し原形復旧工事が実施されたことに関連して、「昭和四〇年災害当時においては今回のような災害を予測し得なかつたものと思われる」との記載部分が存する。しかしながら、右記載部分は、後記認定、判断に徴すれば、にわかに措信できず、これをもつて先に説示した宿河原堰左岸付近の危険性と災害の予測可能性に関する当裁判所の認定、判断を左右し得る証拠とはいえないというべきである。即ち、前掲甲第一号証自体および<証拠略>によれば、多摩川災害調査技術委員会((以下「委員会」という))は、本件災害後、同災害の技術的な調査検討を行なうため建設省関東地方建設局長の依頼を受けて設置されたものであり、委員長として梶谷薫、委員として高橋裕外七名の土木・河川工学につき学識・経験を有する専門家により構成されていたこと、委員会は、「災害の原因について」および「災害に関する技術的対策について」の二点について諮問を受けた関係上、本件災害についての責任の所在に関してはほとんど検討を加えておらず、主として諮問事項である災害の原因および今後の対策についての討議・検討を重ねて前記報告書を作成したことが認められる。そして、本件災害の発生を事前に予測し得たかどうかの問題は右に認定した諮問事項とは直接関係がなく、単に同災害についての責任の所在を究明する関係で検討される余地のある問題に過ぎないことは明らかであるから、右に認定した報告書の目的ないし性格に徴すれば、そもそも本件災害の予測可能性の有無に関する報告書((甲第一号証))の記載には必ずしも高い証拠価値を認めることはできないというべきである。次に、前掲甲第一号証によれば前示記載部分は次のような文脈の中で記載されていることが認められる。即ち、「維持管理に関し特に問題なのは、昭和四〇年の災害復旧に際し、ほとんどもとと同じ形、構造の原形復旧が行なわれたことである。昭和四〇年災害当時においては今回のような災害を予測し得なかつたものと思われるが、今回の災害の初期の状況は四〇年の被災状況とほぼ同様のものであつたことを考えると、この時点において左岸取付部及びその周辺の問題点を検討し必要な措置がとられていたならば、今回の災害を軽減することができたと思われる。」以上のような文脈の中で記載されており、これと右甲第一号証の作成に携つた委員の一人である証人高橋裕の以下のような趣旨の証言、即ち、「昭和四〇年当時の河川管理者は、宿河原堰ならびにその周辺に存する同堰左岸下流取付部護岸および小堤が前記四2(一)の(1)ないし(3)に認定したような危険性を有するものであることについての正確な認識を欠いていたものと推測され、前掲甲第一号証の前示記載部分はこのような河川管理者の現実の認識を前提とした場合の記述である」旨の証言とを併せて検討すれば、前示記載部分が正確な意味で本件災害の予測ができなかつたとの判断を記述しているものと解釈することは困難であるというべきであり、却つて、前掲甲第一号証中の他の箇所では、同じく昭和四〇年被災後の原形復旧工事に関連して、「昭和四〇年の被災では、今回の災害の初期とほぼ同様に小堤先端部が破壊されているが、この時は洪水が今回ほど大きくならなかつたため、この程度ですんだものと認められる。この場合、通常の原形復旧が行われたのは、この部分の破壊が今回のような大きな災害の切つ掛けとなることを予想もしなかつたものと思われる。」と記載されていることに照らせば、前示記載部分もこれと同様に、昭和四〇年当時においては本件災害の発生を予想していなかつたことを述べたに過ぎないものと解するべきである。)

(四)  被告の主張2(国の治水事業)の排斥

さらには被告は、「国の治水事業」と題して縷々主張しているが、本件判断について直接必要な「多摩川の整備状況」の主張についてのみ考察することとする。右主張については叙上の認定において既に説示を加えてきたところもあるが、その余の主張についても、以下に述べるとおり、到底採用できないものである。

被告は、多摩川については精力的な改修がなされ、その結果行政目標としての河川の整備率を相当の高水準で確保している全国有数の河川であつて、現段階においては多摩川よりも整備率の劣つた河川について行政目標としての整備率を向上させることが最も重要な課題であり、右向上をはかることなく多摩川について現在以上の高度の安全性を確保するために、水害発生の蓋然性が殆どないと思われる箇所にまで着目してその改修に着手するような段階にはない旨主張する。しかしながら、多摩川の宿河原堰付近は既に述べたような危険性を有していて、本件災害を含む堤内地災害につながる可能性のあることは十分に予測できたものである以上、緊急にこれを改修する必要性が極めて高かつたのであり、しかも、前記2(一)の(1)ないし(3)に認定した本件災害後の復旧工事の内容・規模等に照らせば、右のような危険性は、多摩川の全区間あるいは相当の長い区間にわたつて改修が実施されなければ除去し得ない性質のものではなく、宿河原堰およびその周辺に存する河川構築物の部分的な改修で十分にその目的を達成し得るものといえるのであるから、被告の前記主張は失当たるを免れない。なお、被告の前記主張は、多摩川について相当程度の財政的投資がなされ、その結果、高水準の整備が達成されている限り河川管理者は免責される趣旨の主張とも受け取れるが、現に多摩川の管理について前述のような瑕疵があつて損害が発生した以上、財政上の理由からこれに対する賠償責任を免れ得るものと解することはできないから、いずれにしても、被告の前記主張は採用し得ないものである。

(五)  本件管理瑕疵の結論

多摩川に設置されている宿河原堰およびその周辺に存する護岸、小堤等の河川構築物の構造、形式等が危険な状態に放置されていたことは、前記(一)に説示したとおりであり、しかも前記(二)に説示したとおり、宿河原堰左岸付近における地形・地質等の具体的諸状況の下で最大流量が計画高水流量程度に達する規模の洪水の到来をみた場合、右の危険な状態が相互に競合しないしは複合して本件災害を含む堤内地災害につながる可能性のあることは十分に予測できたものである。しかも、前記(三)・(四)の被告主張は採用の余地がないものであるのは、前述のとおりである。以上のとおりであるゆえ、多摩川の宿河原堰左岸付近は、首都圏を流れる一級河川として通常備えるべき安全性を欠いたものであり、被告において右管理に瑕疵があつたとの結論に達するものというべきである。

五  被告の責任

以上説示したとおりであるから、被告は国家賠償法二条一項により、原告らが本件災害により蒙つた後記損害を賠償する責任を負わなければならない。

六  損害

1  概要

原告加藤ハルを除く原告らおよび原告加藤ハルの亡夫訴外加藤信が昭和四九年九月一日当時、狛江市猪方地先の多摩川左岸沿いの提内地に居住し、または同所に土地・家屋等を所有していたものであるところ、本件災害により被災し、または本件災害に際し、同月二日から同月四日にかけ延べ一〇回にわたつて実施された宿河原堰堤爆破作業その他の水防活動による被害を受けたものであることは、前記一1に認定したとおりであり、迂回流による堤内地盤の浸食によつて、同月三日午後二時までの間に、堤内の流失住宅地面積が約三〇〇〇平方メートル、流失家屋数が一九棟に達したことは、前記二2に認定したところである。そして以上の事実に、<証拠略>を総合すれば、原告加藤ハルを除く原告らおよび亡加藤信は、本件災害および前記水防活動により、同月一日から同月四日までの間に、概ね、土地・家屋の流失の外、家屋の損壊、土地に付着する門・塀および庭・植木の流失・損傷、家屋内に収蔵されている家財等の財産の流失・毀損その他甚大な財産的損傷(但し、各原告毎の被害の具体的態様・程度は後記認定に譲る)を蒙つたものであることが認められる。

しかして、右の損害のうち所有土地の流失についての原告らの損害は、被告が本件災害後に堤防の修復と併行して行なつた土地の復元により一応回復されたことは当事者間に争いがない。

ところで、被告は前記水防活動による被害について、水防活動は水防管理者たる狛江市長が行なつたものであるから、水防法二一条二項により水防管理団体たる狛江市に対しその補償を請求すべきであり、被告に対してはその賠償を求めることはできない旨主張するので検討する。

水防法二一条二項によれば、水防管理団体は、水防活動により損失を受けた者に対し、時価によりその損失を補償しなければならない旨規定しており、<証拠略>によれば、本件における水防活動は水防管理者たる狛江市長が関係各機関の応援、協力を得て実施したものであることが認められる以上、水防管理団体たる狛江市がその補償義務を負担することは当然である。しかしながら、このように直接には水防活動により惹起された被害であつても、右水防活動を必要ならしめた原因が本件災害の発生にある以上、その間に事実的因果関係の存することはいうまでもなく、また、一般的にいつて洪水による水害が発生した場合に水防法所定の水防管理者が、これによる被害を軽減する目的で様々の水防活動を実施し、このため水防の現場において損失を受ける者があり得ることは同法の当然に予定するところである以上、本件災害における狛江市長の水防活動の実施に伴い損失を蒙る者のあることは通常予測されたところである。そして水防法上の損失補償を求めることができる場合であつても、このことから直ちに国家賠償法二条に基づく損害賠償を求めることが許されないものと解すべきではなく、この両者は要件や効果に差異がある以上、いずれの要件をも具備する限り併存し得る関係にあるものと解するのが相当である。従つて、本件において前記水防活動により被害を受けた原告は、それについて未填補の部分がある場合には、本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害として被告に対しその賠償を求めることができるというべきである。

2  水害における損害の特殊性

洪水災害においては、被災者の保有する極めて多種多様の財産が甚大な被害を受け、しかも被災者の数もかなりの多人数にのぼるのであつて、通常の不法行為の場合における損害の発生形態と比較してかなり様相の異なる面があることは否定できない。しかして、従来における財産上の損害額の算定方式は、この費目の下に、こまかく分析算定された個別の損害額を集積合算して行なわれてきたのであるが、この方式を洪水災害における損害額の算定にあたり厳格に貫くときは、まずもつて、多岐多様にわたる個々の財産を遺漏なく主張すること自体不可能に近いといえるだけでなく、仮にこれを主張し得たにしても、個々の財産は必ずしも新品ばかりでなくその減価の程度も千差万別であるから、その損害額の立証ないし金銭的評価が極めて困難なものとなることはいうまでもない。しかも、洪水災害においては、被災者らが多人数となり、かつそれぞれの保有する財産の数量・質等は各人毎に全く異なるのであるから、その各人について右のような煩瑣な主張立証を要求するときは、事実上、被災者に著しき困難を強いるだけでなく、審理が著しく長期化することとなつて、洪水災害により甚大な被害を蒙つたこと自体は明らかな被災者の救済が著しく遅延する結果を招来することは必定である。本件においては、前記1に説示したように、家財等が土地・家屋もろとも流失するという極めて重大な被害形態をとつていることを考慮すれば、右に述べた主張立証の不可能ないし困難性や審理の長期化のおそれが一層強く指摘できるのである。

本訴において大多数の原告らは、大部分の財産上の損害に関して損害保険評価方式を含む定型的な損害額算出方法を採用すべき旨主張するのであるが、前述のような洪水災害における損害の特殊性に鑑みると、この方法が合理的な算定方式であつて相当と判断し得るものであれば、本訴においてこれを採用する具体的必要性があるものとしなければならない。

3  原告らの主張する損害額算定方法の検討

原告らは、請求原因6(三)(1)〈1〉において、物損に関する損害額算出方法の概要を主張するにあたり、AないしD方式という用語法の下にその意義を提示しているのであるが、この提示された意義内容自体は妥当なものと考えられるので、当裁判所としても以下においてはかかる意義内容を有する用語として使用することとする。

しかして、A方式、B方式、C方式およびD方式を相互に比較検討してみた場合、損害額の算出方法としての具体的妥当性ないし合理性は、A方式において最も大で、以下B、C、Dの順序でこれに続くことは明らかであるから、損害額の算出にあたつては、右A以下の順序で算出可能なものから採用すべきこととなる。

そこで以下においては、各費目別に、原告らの主張する損害額算出の具体的方法が合理性ないし相当性を有するものと判断できるか否かにつき検討を加える。

(一)  家屋について

原告らは、家屋の損害額について、A方式、B方式またはC方式によつて算出するものとし、そのうちB方式およびC方式における経年減価率を求める際の資料としては損保協会発行の「手引き」を、またC方式における再取得価額(新築価額)を求める際の資料としては、右「手引き」、同協会発行の「写真集」および興亜火災発行の「簡易評価基準表」を、それぞれ採用すべき旨主張し、これに対し被告は、右各資料自体の信用性および右各資料に基づき損害額を算出することの合理性を争うので検討する。

(1) 「手引き」、「写真集」および「簡易評価基準表」の信用性ないし証拠価値

<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

即ち、損害保険においては、保険契約の目的の価額(保険価額)は損害額算定の基礎となるものであるから、その適正な評価をなすことが保険契約を締結する上で極めて重要な意味を持つていること、損保協会の発行にかかる「手引き」は、保険者たる損害保険会社およびその代理店が契約締結にあたつて保険価額を適正に評価するための基本的な資料として配布されている小冊子であつて、その初版は昭和四〇年に発行され、甲第二七号証の「手引き」は、その後の物価上昇を考慮し最新の資料、数値に基づき昭和五〇年一一月一日に増補改訂第六版として発行されたものであること、「手引き」に基づき各損害保険会社はさらに独自の保険価額評価基準を作成しているが(甲第二九号証の興亜火災発行の「簡易評価基準表」もその一例である)、その内容はいずれも「手引き」にほぼ準じるものとなつていること、甲第二八号証の「写真集」は、建物の保険価額を評価する際の補助的な資料として損保協会が昭和五〇年八月三〇日に発行したもので、評価上のポイントとなる屋根・外壁・外部建具等についてカラーによる実物写真が収められており、「手引き」と同様に各損害保険会社によつて利用されていること、甲第七九号証の建物鑑定評価資料は、委員がいずれも不動産鑑定士または一級建築士の資格を有する者により構成されている建物鑑定評価実務研究会が編集したもので、不動産鑑定士等の建物鑑定評価実務に携わる者の用に供することを目的として、部分別見積法による建物鑑定評価の推定再建費の事例を多数掲載した専門的な資料であるが、同資料中に採用されている建物の構造概要別の単位面積当りの再調達原価は、「手引き」および「簡易評価基準表」の中の同様の構造(屋根・外壁)を有する建物について記されている単位面積当りの新築費にかなり近似する数値となつていること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右に認定した「手引き」、「簡易評価基準表」および「写真集」の作成目的および内容等に徴すれば、これらはいずれも客観性および信用性の高い資料であり、その証拠価値に十分の重きを置くに足るものであると考えられる。

(2) 「手引き」および「簡易評価基準表」に基づく損害額算出方法の合理性

まず、被告は、「手引き」および「簡易評価基準表」(以下併せて「手引き」等ともいう)によると、例えば木造日本瓦葺モルタルリシン吹付の場合、単位面積当りでは全て同一の再築価格となつて不合理である旨主張し、<証拠略>によれば、「手引き」等においては、建物の屋根および外壁に区別の指標を求めてその組合せにより幾つかの標準建物を想定し、それぞれについて単位面積当りの新築費の評価額が定められているため、同じ構造の屋根・外壁を有する建物の場合における右新築費は結果的にみて同じ価額となることが認められる。

しかしながら、原告らが指摘するとおり、我が国の損害賠償請求訴訟において、或る種の分類的区分法に従つて区別された一群の対象物に関する平均的数値(統計的数値)を採用して損害額を算定すること自体は既に確立された手法であり、しかも、この方法によると類型的区分内の各個体の数値が平均化された数値によつて画一的に捉えられることは、蓋し当然である。さらに本件災害においては、前記六2で説示したように、家屋が土地もろとも流失するという極めて重大な被害形態をとつており、従つて家屋の損害額についての主張立証が著しく困難な事情にあることを考慮すれば、流失後においても比較的容易に主張立証をなし得ると考えられる建物の屋根・外壁に区別の指標を求めて「手引き」等によりその新築価額を算出することは許されるべきである。

次に、被告は、原告伊藤芳男・同尾崎信夫・同宅間三千夫・同那須義高・同横山十四男・同渡辺規男および同柿沼和子が昭和三〇年に購入したと主張する各家屋について、「手引き」等により算出される評価時における新築価格から「手引き」所載の「年次別建築費指数表」または「簡易評価基準表」所載の「建築費倍率表」中の該当数値を用いて昭和三〇年取得時における新築価格を逆算し、これを取得当時における現実の取得価格と比較するという方法を試みると、「手引き」等の保険価額評価基準を採用した場合には不当に高額の数値が算出される危険性があり不合理である旨主張する。そして、原告伊藤芳男・同尾崎信夫・同渡辺規男および同柿沼和子の各供述中ならびに<証拠略>には、前記各原告が昭和三〇年当時にいわゆる土地付建売住宅を購入した際の現実の取得価格およびその代金の一部について住宅金融公庫から融資を受けた金額に関する供述部分および記載部分が存する。

しかしながら、右各供述部分および各記載部分は、いずれも土地付建売住宅全体についての一括取得価格に関するものであつてそのうちに占める建物部分の価格については明らかでないうえに、前記各供述部分および各記載部分は、住宅金融公庫から融資を受けた金額を除くその余の代金額については、概ね、二〇年以上も経過した以前の事柄に関するあいまいな記憶に頼るものであつてそれ自体から大雑把で具体性を欠くものであることが窺われる以上、いずれもにわかに措信することはできないというべきである。他に前記各建物についての昭和三〇年取得時における現実の取得価格ないし新築価格を認めるに足る証拠はない。右によれば、前記各原告が昭和三〇年に購入したと主張する各家屋についての右取得当時における現実の取得価格ないし新築価格が認定できることを前提とする被告の前記主張は爾余の判断を加えるまでもなく失当であることが明らかである。

以上のとおりであるから、C方式における再取得価額(新築価額)を求める際の資料として「手引き」、「写真集」および「簡易評価基準表」を使用して家屋の損害額を算出する方法は、合理的かつ相当なものであつて採用に十分値するものと考えられる。

さらに、被告は、木造住宅用建物の経年減価率について、「手引き」所載の「建物経年減価率表」の数値が前提とする推定耐用年数は、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和四〇年三月三一日大蔵省令第一五号、その後数次の改正を経ている)別表第一所定の耐用年数または公営住宅法施行令(昭和二六年六月三〇日政令第二四〇号、その後数次の改正を経ている)四条所定の償却期間と比較すると著しく長期であつて不合理である旨主張する。そして、<証拠略>によれば、「手引き」所載の「木造建物経年減価率表」中の専用住宅表は、まず標準建物(外壁が板張で柱の太さが一二センチメートル角以下で、しかも標準的立地環境に所在し、普通の維提管理下にある建物)について単位面積当りの新築費を三段階に分けたうえそれぞれにつき推定耐用年数(四二年・五三年・七〇年)および経年減価率を定め、さらに所定の非標準建物については右経年減価率を補正することとしており、個々の建物の建築の程度や立地環境等を資料として採り入れて物理的・経済的実情に比較的汲つた内容であることが認められる。これに対して前記大蔵省令所定の耐用年数は、木造の住宅用建物については一律に二四年となつているが、これはそもそも企業会計処理上ないし税法上の要請から定められているものに過ぎないし、また前記公営住宅法施行令所定の償却期間は、木造の住宅について一律に二〇年となつているが、これも本来、公営住宅の家賃を決定する場合に依るべき基準として定められているものに過ぎないのである。

右に述べた大蔵省令所定の耐用年数および公営住宅法施行令所定の償却期間の目的・内容に対比すれば、民事上の損害額を算定する基準としては、先に認定した「手引き」所載の経年減価の方法がより合理性が高いものと考えられ、被告の前記主張は採用することができない。

また、被告は、原告らの多くが昭和三〇年に新築された建物をその後二〇年経過前に既に取り壊して新築するか、または大幅な増改築を施していることからすれば、「手引き」所載の耐用年数は著しく長期に過ぎる旨主張する。

しかしながら、<証拠略>によれば、右原告らおよび原告那須義高は昭和三〇年に新築された建売住宅を購入した後、これを取り壊して再築し、またはこれに大幅な増改築を加えているものの、これらの再築または増改築は、いずれも、家族数の増加またはその成長につれ家が手狭になつたり、あるいは生活水準の向上に伴い応接室・個室等が必要となつたために行なわれたものであり、家屋が朽廃し、またはその破損の程度が甚しくなつたために行なわれたものではないことが認定でき、右認定を左右するに足る証拠はない。右認定事実に徴すれば、被告の前記主張が失当であることは明らかである。

以上によれば、「手引き」は、B方式およびC方式における経年減価率を求める際の資料として合理的かつ相当なものであると考えられる。

なお、原告らは、家屋の損害額を算出するについて、前記「簡易評価基準表」を新築価額算出の資料としてのみ使用するもののようであるが、同表は「手引き」に基づき作成されているもので、その内容もこれにほぼ準じるものとなつており、しかも客観性および信用性の高い資料であることは既に説示したとおりであり、<証拠略>によれば、同表中には建物の屋根および外壁の構造別に経年減価率が定められており、「手引き」の基準をさらに具体化した内容となつていることが認められるから、経年減価率を求める際の資料としては、「手引き」のみならず「簡易評価基準表」をも併せて使用するのが相当と考える。

次に、「手引き」等に従つて家屋の損害額を算出するものとした場合に、本件での具体的適用にあたり、原告らに比較的共通して問題となり得ると考えられる一、二の点について判断を加える。

まず、<証拠略>によれば、「手引き」等における単位面積当りの新築費の数値は、昭和五〇年六月現在のものであることが認められる。そして本件災害は既に認定したとおり昭和四九年九月に発生したものであるから、本件災害時における家屋の損害額(時価)を算出するにあたつては、この間に建築費の上昇があれば、これを考慮すべきは当然である。この点について原告らは、本件災害のような場合にあつては家屋の再取得には少なくとも一年位の時間的余裕を必要とするから、昭和五〇年六月当時の新築価額をもつて損害額とすべき旨主張するが、損害額の算出は損害を蒙つた家屋自体についてその損害発生時における時価を基準としてなされるべきでものあるから、原告らの右主張は失当である。

そして<証拠略>によれば、昭和四九年九月時における木造建物の建築費は昭和五〇年六月時のそれに比較して〇・六パーセント程度低いことが認められるから、「手引き」等により新築価額を算出するC方式にあつては、「手引き」等所載の単位面積当りの新築費に〇・九九四を乗じてこれを修正すべきことになる。

次に、<証拠略>によれば、「手引き」等における単位面積当りの新築費は、建物の基礎工事費を含む価格であるから、基礎工事が不要な場合については右新築費から五パーセント程度控除(即ち右新築費に〇・九五を乗ずる)するものとされていることが認められる。

従つて、増改築に係る家屋部分の損害額を「手引き」等により算出するC方式を採用する原告らのうちで基礎工事を必要としなかつた者については右に認定したような修正を施すべきことになる。

されば、後記各原告の蒙つた家屋についての損害額を算出するに際しては、右に各説示したような意義内容をも包摂する用語として、B方式またはC方式という用語を用いることにする。

ところで、被告は、A方式により非流失家屋の修復費用をそのまま損害額と主張する原告らについては、右修復により家屋は本件災害時よりその価値を増大したことが明らかであるから、相当程度の控除をなすべき旨主張する。

よつて検討するに、なるほど損害賠償は原状回復を目的とするものではあるが、一般的にみて、中古の建物について被害を受けた場合、これを完全に元通りに修復することは不可能であるし、また、建物の一部について修復をなしても、このことから直ちに建物全体として交換価値が増大するものとは必ずしもいい難いことを考慮すれば、当裁判所としては、被告の前記主張に与することはできないのである。

(二)  門・塀について

原告らは、門・塀の損害額について、A方式またはC方式によつて算出するものとし、そのうちC方式における価額を求める際の資料としては、「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」を採用すべき旨主張し、これに対し被告は、右資料自体の信用性および右資料に基づき損害額を算出することの合理性を争うので検討する。

(1) 「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」の信用性ないし証拠価値

被告は、「簡易評価基準表」所載の門・塀価格の評価基準について、「手引き」に右評価基準が掲載されておらず、単なる一保険会社の資料に過ぎないから、その信用性がない旨主張する。

しかしながら、<証拠略>によれば、興亜火災発行の「簡易評価基準表」の外、住友海上火災保険株式会社発行の「専用住宅建物・家財評価早見表」および東京海上火災保険株式会社の「専用住宅建物・家財簡易評価基準」の各冊子においても門・塀価格の評価基準が掲載されており、しかもそれらの内容は「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」と比較してごく一部(但し、これについての評価額の差も僅少である)を除いて全く同様のものとなつていることが認められる。右認定事実に徴すれば、「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」は客観性および信用性の高い資料であると考えられ、高い証拠価値を認めるに十分である。

(2) 「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」に基づく損害額算出方法の合理性

原告らは、門・塀については同種・同等の中古品を再設置することは社会経済的にみてほとんど不可能というべきであるから、その損害額は新品価格によるのが相当であり、経年減価の必要はない旨主張し、<証拠略>によれば、「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」では、新品価格が記載されているに過ぎず、経年減価についての記載はないことが認められる。

なるほど、原告ら指摘のとおり、同種・同等の中古品を再設置することは社会経済的にみてほとんど不可能といい得るにしても、新品の交換価値が中古品のそれを上回ることは明らかであるうえに、家屋については前説示のように「手引き」に基づき経年減価を施すものと考える以上、これとの均衡からいつても門・塀についても同様に解すべきであり、経年減価率は「手引き」の定める建物についてのそれに対比すれば、毎年三パーセント程度と考えるのが相当である。

従つて、「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」に基づき損害額を算出する際には、新品価格から経年減価分を控除すべきことになる。

ところで、<証拠略>および弁論の全趣旨によれば、「簡易評価基準表」所載の「門・塀の価額表」中における新品価格の数値は、昭和五〇年六月現在のものであることが認められるから、本件災害時における損害額(時価)を算出するにあたつては、前記家屋について説示したように、この間の設置費の上昇を勘案すべきであり、右上昇率は、前記認定の木造建物の建築費のそれに準ずるのが相当である。

従つて、前記「門・塀の価額表」に基づき新品価格を算出するC方式にあつては、同表所載の新品価格に〇・九九四を乗じてこれを修正すべきことになる。

以上のとおりであり、後記各原告の蒙つた門・塀についての損害額を算出するに際しては、右に各説示した意義内容をも包摂する用語として、C方式という用語を用いることにする。

(三)  庭・植木について

原告らは、庭・植木の損害額について、A方式またはD方式によつて算出するものとし、そのうちD方式においては、本件災害時に存在した庭・植木についての個々の見積りを行なわず、包括的に金三〇万円をもつて損害額と推定すべき旨主張し、被告はこれを争うので検討する。

D方式についての原告らの右主張は、要するに、金三〇万円をもつて庭・植木の損害に関する請求額の上限を画する趣旨と解せられるから、同方式を採用する各原告毎に、本件災害によつて蒙つた庭・植木に関する損害の状況が認定できる場合には、その損害額について、A方式におけるような個々の見積りがなされていないことから直ちに不明とすべきではなく、同方式を採用する原告らの例に比較し、かつ経験則に照らして相当と判断し得るものであれば、前記金額を限度として認容できるものであることは当然である。

(四)  家財について

原告らは、家財の損害額について、まず家財を貴金属、美術品、職業上特別に所有している物等の特別家財と、これ以外の一般家財とに分類し、前者についてはA方式により、後者についてはA方式またはC方式により算出するものとし、そのうちC方式における価額を求める際の資料としては、「手引き」所載の「家財簡易評価表」を採用すべき旨主張し、これに対し被告は、右資料自体の信用性および右資料に基づき損害額を算出することの合理性を争うので検討する。

(1) 「手引き」所載の「家財簡易評価表」の信用性ないし証拠価値

「手引き」はその作成目的および内容等に徴すれば、客観性および信用性の高い資料であり、その証拠価値に十分の重きを置くに足るものと考えられることは、前記(一)(1)において説示したとおりであり、<証拠略>によれば、「手引き」所載の「家財簡易評価表」についても、右説示が妥当するものと考えられる。

(2) 「手引き」所載の「家財簡易評価表」に基づく損害額算出方法の合理性

<証拠略>によれば、「手引き」所載の「家財簡易評価表」は、「夫婦のみの家財の時価」と「夫婦を除くその余の家族の家財の時価」とから構成されており、まず、世帯主の年令ならびにこれに応じた標準的な建物の面積および年収をメルクマールとして前者を算出し、これに後者を加算して、その世帯の家財の時価を算出する仕組みとなつていることが認められ、原告らは、本訴において、右に認定した「家財簡易評価表」に基づき、その妻子父母等家族の所有に係る家財の損害についても請求するので検討する。

なるほど、家財は各人の家庭生活を維持するために所持する生活用具の総和であつて、一般的には、家族構成員相互の間における右家財についての所有観念は、それ以外の第三者に対する関係におけるそれと比較すれば、かなり異なつた様相を呈するものと考えられるし、また、社会経済的にみれば、通常は世帯主の収入により購入されたものがその大半を占めるであろうから、このような家財についての損害賠償請求権者を定めるについては、世帯主である原告がいわば世帯を代表して家財全体についての請求をなし得るものとすることは、特に本件災害におけるように多種多様の家財をほとんど流失するといつた甚大な供水災害の形態をとつた事案にあつては、一つの傾聴すべき見解といえる。しかしながら、一口に家財といつても、この中には、家具・什器・調度品、台所用品、洗濯・掃除・風呂用具、裁縫、園芸・大工道具、趣味・娯楽用品、客用寝具類等の家族構成員全員に通常、共通して使用されると考えられる家財(以下「共通家財」という)と、個人用衣類身回品寝具類等の家族構成員各自がある程度排他的に使用すると考えられる家財(以下「個人家財」という)との二種類があり、これらは、社会通念上、区別することが可能であつて、その所有権の帰属についても区別して考えるのが相当である。即ち、共通家財については、通常、世帯主の収入で購入され、引続き世帯主を含む家族構成員全員の使用におかれるものであるから、これは世帯主の所有物として他の家族構成員にとつてはその使用が黙示的に許諾されているに過ぎないものと観念し得るのに対し、個人家財については、仮に世帯主の収入により購入されたものであつても黙示の贈与によつて世帯主の所有を離れ、家族構成員各自の所有に帰属するに至つたものと観念し得るのである。このように考えると、世帯主である原告としては、自己に属する個人家財および共通家財については、自ら蒙つた損害としてその賠償を求めることは許されるが、他の家族構成員各自に属する個人家財については、自ら蒙つた損害とはいえないのであるから、その損害賠償請求債権の譲渡を受けた等特別の事情がない限り、その賠償を求めることはできないものと解するのが相当である。なお、<証拠略>によれば、「家財簡易評価表」において、先に認定したような評価方法が採用されているのは、住宅火災保険約款・総合保険約款に「被保険者と生計を共にする親族の所有物で保険証券記載の建物に収容されている物は、特約がない限り、保険の目的に含まれる」旨の規定が存するため、被保険者(通常は申込人たる世帯主)本人の所有物のみならず、右親族の所有物を含めたものが評価の対象とされているからであることが認められ、右認定に照らせば、「家財簡易評価表」が前認定のような評価方法を採用していることをもつて、当裁判所の前示判断を左右することができないのは明らかである。

右に説示したところによれば、C方式により一般家財の価額を求める際の資料として「家財簡易評価表」を用いる場合には、次のとおり修正するのが合理的である。即ち、<証拠略>によれば、世帯主に属する個人家財および共通家財の時価の合計が、「家財簡易評価表」により算出される前記「夫婦のみの家財の時価」に占める割合は、七割程度であることが認められるから、原告本人が世帯主である場合に、その所有に属する一般家財の価額を算出するには、右「夫婦のみの家財の時価」に〇・七を乗じてこれを求むべきこととなる。従つて、後記各原告の蒙つた一般家財についての損害額を算出するに際しては、かかる意義内容をも包摂する用語としてC方式という用語を用いることにする。

次に、原告らは、家財の損害額を算定するにあたつては経年減価を施す必要はなく、再調達価額(新品価額)自体をもつて損害額とすべき旨主張する。

なるほど、家財は営業上所有される商品とは異なり、財産的価値を保有する手段として所有されるものではなく、所有者にとつての利用価値は年を経過するに従い減少するとは限らないこと、家財はその種類が極めて多岐多様にわたる上に、個々の家財の使用頻度、使用方法の適否等による耐久性の相違があるから、減価の程度・態様が一律ではないこと、個々の家財についてそれと同程度の中古品を取得して原状を回復することは不可能であることは原告らの指摘するとおりである。

しかしながら、物の滅失に基づく損害賠償は、滅失した物についての滅失時の時価、即ち交換価値の填補を目的とするものと解するのが、現行法上最も無理のない解釈と考えられるし、また<証拠略>によれば、「手引き」においても、家財の評価について再調達価額から使用による損耗および年代に応じた減価控除をなすことが必要とされ、新婚家庭等特殊な家庭は除き、ごく平均的な減価基準としては、個々の家財の新陳代謝による効用の持続性を考慮して全家財の再調達価額(一〇〇パーセント)に対し二〇ないし三〇パーセントの率をもつてほぼ妥当な減価基準とされていること、「手引き」所載の「家財簡易評価表」の価額も右のような経年減価を施して算出された額であることが認められ、これを併せ考えると、原告らの前記主張は直ちに採用することはできないというべきである。

従つて、A方式により家財の損害額を算出する場合にも、原則として、当該家財の経過年数に応じた経年減価を施すのが相当である。そこで、後記各原告の蒙つた家財についての損害額を算出するに際しては、かかる意義内容をも包摂する用語としてA方式という用語を用いることにする。

(五)  雑損について

原告らは、本件災害によつて右(一)ないし(四)以外の費目について支出を余儀なくされた雑多な費用を雑損とし、D方式により、家屋を流失して再築を余儀なくされた原告ら(原告岩井健三を除く)については金五〇万円(但し亡加藤信および原告百々洋子については各金二五万円)を、その余の原告らについては金三〇万円をもつて損害額と推定すべき旨主張し、右金額の妥当性を根拠づけるための例証として、雑損について具体的に種々雑多な出費の項目を挙げて証拠を提出している。これに対して被告は、原告らが例証として挙げる出費のうちの一部について本件災害との間の相当因果関係の存在を否認し、雑損としての損害額は原告らの主張する前記金額より低額に見積るべき旨主張する。

よつて検討するに、そもそも雑損の範囲は雑損であるがゆえにこれを細目に至るまで把握することが困難な損害であり、殊に、本件災害のように家財等が土地・家屋もろとも流失するといつた甚大な洪水災害の形態をとつた場合においては、日常の家庭生活のみならず社会生活全般にわたつて種々雑多な出費が嵩み、被災者にとつてこの出費の全てを網羅的に列挙し尽すことが不可能に近いであろうことは、経験則に照らし容易に推察できるところである。しかして、右のような性格を有する雑損について、従来の損害額算定方式に基づき、細かく分析された個別の出費毎に本件災害との因果関係を明らかにし、かつ相当性を個別的に判断するものとしたところで、右は所詮、列挙し得た雑損の一部についてなされるものに過ぎないものである以上、左程実益のある作業ということはできないのである。従つて、本件における雑損についての損害額の算定方法としては、むしろ、これを構成する個別的な出費を一括してその全体としての相当性を判断する方法が、より高い合理性と相当性とを有するものと考えられる。

なお、被告は、本件災害当時にアパート居住者、借家人等の賃借人であつた原告ら(原告小川元嗣・同加藤力・同黒田豊・同佐渡島平四郎・同竹内久夫・同中納博臣および同水野善之)について、被災後一定期間都営住宅または東京都住宅供給公社住宅に無償で入居し、この間旧住居の賃借料の支払を免れているのであるから、右賃借料相当額は本件災害により利得したものとして、当該原告の雑損額より控除すべき旨主張する。

しかしながら、被告が利得と主張するものは、本件災害とは別の原因に基づくものであつて相当因果関係の範囲内の利益といえるものでないことは右主張自体からして明らかであるから、爾余の判断を加えるまでもなく、被告の右主張は失当である。

(六)  逸失利益について

原告らは、逸失利益については、各原告毎の事情に従い、本件災害発生直前の収入額に稼働不能期間を乗じて算出する方法を採用しており、この方法が相当なものであることはいうまでもない。

ところで、被告は、家屋流失に伴い再建築までの間の賃料収入喪失による逸失利益を主張する原告ら(原告柿沼和子・同加藤ハルおよび同百々洋子)について、被災後流失家屋に代え新たな家屋を建築して賃貸し、各世帯から権利金を収受したのであるから、右権利金相当額は実質上本件災害により利得したものとして、当該原告の逸失利益に基づく損害額より控除すべき旨主張する。

しかしながら、被告が利得と主張する権利金は、新規家屋についての賃貸という本件災害とは別個の原因に基づき得られるもので相当因果関係の範囲内の利益といえるものでないことは右主張自体からして明らかであるから、被告の右主張もまた失当たるを免れないものである。

4  慰藉料についての基本的考え方(斟酌事由)

<証拠略>を総合すれば、原告らが請求原因6(五)の(1)ないし(3)において、「生活設計の根本的破壊」、「回復不能の被害」および「消え去ることのない恐怖の悪夢」と題して主張するとおりの事実の外、原告らおよびその家族は、本件災害により生活の基盤となるべき財産に甚大な被害を蒙つたことに伴い、被災後の日常生活においてはその全般にわたつて筆舌に尽し難い生活上の不便ないし労苦を余儀なくされ、なかには被災後の過労が重なつて健康を著しく阻害される者もいたことが認められる。

右認定事実によれば、原告らが本件災害によつて受けた精神的苦痛は、単に財産的損害が補填された場合には右苦痛も当然に慰藉される性質のものにとどまらず、右財産的損害とは別途に賠償されるに値する非財産的損害というべく、従つて、これが慰藉料の対象となることはいうまでもない。被告は、本件災害により流失した家屋に居住せず単に右建物を賃貸していたに過ぎなかつた原告らおよび家屋流失の被害を蒙ることのなかつた原告らの慰藉料請求は否定さるべき旨主張するが、前掲各証拠および前記認定事実に徴すれば、被告の主張するような原告らにおいても、程度の差こそあれ、いずれも賠償に値する著しい精神的苦痛を蒙つたことが認められるのであつて、右は各原告についての具体的な慰藉料額を算定する際に斟酌すれば足りるものである。

ところで、原告らは、財産被害の補完性として、財産的損害のうち財産類型別の積算によつては積算し切れないものは慰藉料によつて補完さるべき旨主張し、特に、財産的被害について仮に交換価値の填補があつても、原告らとしては現実には減価償却分の出費を余儀なくされ、それ以上の損害を蒙つている旨主張する。

なるほど、財産的被害について交換価値の填補があつても現実にはこれに減価償却分の価額に相当する出費を重ねて新品を購入せざるを得ない場合が多いといえようが、翻つて考えてみれば、原告らにとつて右減価償却分の価額はそれに相当する利益ないし利得をもたらすものであるということはできても(それ故、財産的価値が経年的に減少するものについての損害額の算定にあたつては減価償却を施すのである)、右価額の出費が財産的損害を及ぼすものということはできないのは当然であるから、この点について財産被害の補完云々を論ずる余地はないというべきである。

そして、本件における原告らの財産的損害に関する請求は、家屋、門・塀、庭・植木および家財についての損害の外、逸失利益および雑損をそれぞれ独立費目として請求するものであつて、右は住居が洪水災害に遇つた場合に通常蒙ることが予想される財産的損害をほとんど網羅するものであることを考慮すれば、本件における原告らの財産的損害について慰藉料をもつて補完すべき必要性は左程ないものというべきである。

原告らは、さらに、被告の応訴態度の不当性を挙げ、これを慰藉料の斟酌事由とすべき旨主張するが、右は本件災害により蒙つた損害といえないことは明らかである以上、右主張が採用できないことは当然である。

第一図 河川平面図〈省略〉

第二図 堰左岸付近平面図〈省略〉

当裁判所の慰藉料についての基本的考え方は以上のとおりであるが、各原告についての慰藉料額の算定にあたつてはこれを基礎に、各原告の財産的被害の程度等諸般の事情を斟酌するものであることを付言する。

5  各原告の蒙つた損害 <略>

6  弁護士費用

<証拠略>および弁論の全趣旨を総合すれば、原告加藤ハルを除く原告らおよび亡加藤信は、被告が本件災害による損害賠償債務の任意の弁済に応じなかつたため、やむなく弁護士である原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の提起、追行を委任し、本判決言渡後遅滞なくその報酬を支払う旨約したこと、原告加藤ハルは亡加藤信の右義務を相続により承継したことが認められる。そして、本件訴訟における事案の内容、訴訟遂行の難易度、認容額等諸般の事情に照らして考えると、本件災害と相当因果関係にある損害として原告らが被告に対して請求しうる弁護士費用は、別紙認容額金一覧表の〈ハ〉弁護士費用欄記載の各金員をもつて相当と認める。

七  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告に対し、別紙認容金額一覧表の〈イ〉認容合計金額欄記載の各金員および内同表の〈ロ〉弁護士費用を除く損害額欄記載の各金員に対する本件不法行為の日以降である昭和四九年九月四日から、内同表の〈ハ〉弁護士費用欄記載の各金員に対する本判決言渡の日の翌日である昭和五四年一月二六日から、各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原康志 山崎末記 土肥章大)

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